白樫包永
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白樫包永(しらかしかねなが)
刀
銘 包永
名物 白樫包永
刃長二尺二寸九分半
- 初代手掻包永の作
- 享保名物帳所載
白樫包永 在銘長二尺二寸九分半 代金二十枚 京極若狭守殿
中頃白樫と云山伏あり、此刀を所持す、寛永三年毛利甲斐守殿より来る、少しすり上げ忠先き銘あり。
- 詳註刀剣名物帳
京極は近江の住人佐々木源三秀義の子孫、京極高次は太閤の妾松丸の弟にして、淀君とは従弟なり、大津六万石を領す、関ヶ原の後出雲隠岐二十四万石を領す、孫高国の世となって此家は絶たり、いまの京極は高知の二男の家なり、毛利甲斐守は元就の五男穂井田元清の男長府毛利家の元祖なり、この人太閤の抜擢を受て征韓の大将を承はり参議に任す。
- 磨上、中心先に「包永」と二字銘。
由来
- 白樫という山伏がおりこの刀を所持したためという。
来歴
- 毛利家に伝わる。
- のち毛利秀元(甲斐守)に伝わる。
- 秀元は寛永3年(1626年)本阿弥家に鑑定に出し、金二十枚の折紙をつけさせている。
- 秀元の嗣子毛利光広(和泉守)の遺物として、毛利綱元(右京)が承応2年(1653年)11月1日に将軍家綱に献上。※実紀では備前兼光となっている
- これが丸亀藩京極家に伝わる。時期は不明だが、丸亀藩2代藩主の京極高豊であるとする。
- その後行方不明。
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