瓶割刀
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瓶割刀(かめわりとう)
太刀
二尺七寸
- 福岡一文字派の助宗作とされる。
- 伊藤一刀斎が譲り受けた剣。
由来
- 三島神社に賊が押し入った際、瓶に潜んだ賊を瓶ごと切り伏せたことから「瓶割刀」との異名が付いたという。
一刀斎自身が7人の賊を退治したともいう。また神前に吊されていた刀があるとき落下し、下にあった酒瓶を真っ二つにしたことからともいう。
- ただし異説があり、それによれば神子上典膳(小野忠明)と善鬼が伊東一刀斎から一刀流の継承者たるべく決闘した際に、善鬼の隠れた瓶ごと叩き割ったためという。
伊東一刀齋カ兵法ノ奥儀ヲ修シ得タル者ハ神子上典膳ト善鬼ト云山伏二人之。或時一刀齋二人ニ云テ曰我唯受一人ノ傳各二人ノ内一人ニ傳ヘシ然レハ兩人互ニ真劔ヲ以テ勝負セラルヘシ何レ成トモ勝ノ方ヘ授ヘシト之放是典膳ト善鬼ト濃州桔梗ヶ原ト云ニ出テ真劔ヲ交テ勝負ス、各互ニ受授スル所ノ秘術ヲ尽テ爰ヲ専途ト追ツ返ツ火花ヲ散シテ戰フタリ、時ニ善鬼息絶ヘヤシタリケン折節側ニ大ナル瓶ノ有ケルニ其陰ヘ立寄息ヲ継ントスル処ヲ典膳瓶越ニ切付タリシニ流石ノ善鬼二ツニ成テ失ニケリ。是ヨリ典膳一人伊東一刀齋カ劔術ノ唯受一人ノ傳ヲ得タリ。世々其業ヲ傳タリ善鬼ヲ切リシ刀備前一文字ニテ瓶割ト号シテ今ニ至テ小野次郎右エ門忠一ノ家ニアリ
後者の説によれば、神子上典膳が所持していた刀に異名がついたということになり、三島神社や一刀斎が貰い受けたという話はなくなる。
来歴
- 一刀流の始祖、伊藤弥五郎影久(一刀斎)が、三島神社の神官矢田織部より与えられたもの。
- その後、門人になった神子上典膳(小野忠明)から、代々小野派一刀流の当主に受け継がれたという。
諸説あり、伊藤忠也より流儀を継承した井藤忠雄から紀伊徳川家に献上されたとも。
- 明治18年(1885年)3月、山岡鉄舟が小野家9世の小野業雄(小野忠政)から正伝を免許皆伝された際 「瓶割の太刀」と伝えられる刀も伝授されたという。
- 山岡の死後、娘が日光山輪王寺の神庫に奉納したというが行方不明である。
此一文字作名瓶割刀者。一刀流始祖伊藤一刀斎景久所佩也。(略)
山岡鐵太郎多年學一刀流。極其妙旨。開發無刀流。以所傳瓶割刀。及始祖景久自記之傳書。授之。鐵太郎未鐵太郎之弟子而病歿。故夫人英子憂其刀堙沒。納之晃山(日光山)神庫。以期傳永遠云。
- 鉄舟の息子の山岡直紀は、鉄舟が建立した全生庵に所蔵されていたが全生庵の火災の際に焼失したと証言している。
なお、一刀斎の瓶割刀は一文字派の作であると言われており、また山岡鉄舟が授かったのは家吉の作といい別物の可能性が高い。家吉は越前鍛冶千代鶴派の刀工。加州家吉。
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