楯岡ノ道順


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 楯岡ノ道順(たておかのどうじゅん)

戦国時代の伊賀流忍者
中忍
伊賀崎道順

 生涯

  • 伊賀流忍者。中忍。
  • 伊賀楯岡の生まれだったので通称「楯岡(たておか)ノ道順」といわれる。

 佐和山城

  • 六角承禎(義賢)に仕えていたころ、義賢の配下だった百々(どど)氏が謀反を起こした。
    これ以前に百々氏は浅井方についており、この時は美濃に攻め込んだ浅井氏に対して佐和山城主として留守を守っていたという。
  • 道順は六角承禎の依頼を受け、百々氏の居城沢山城(後に石田三成の居城となった佐和山城)に忍び込み、城に火をかけた。
  • これにより城内は大混乱し、混乱に乗じて攻め込んだ六角軍により城は落城した。この手柄により、難攻不落の城も「伊賀崎入れば落ちにけるかな」と詠われたという。

 信長狙撃

  • また、鉄砲の名手ともいわれていて、織田信長の暗殺を企て狙撃した事もあるという。だが、信長に命中せず、隣にいた人物に命中してしまったという記録が残っている。
  • ただしこれは、道順の仕業ではなく、城戸弥左衛門の仕業とも言われている。

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