朽木正宗
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朽木正宗(くつきまさむね)
脇差
無銘 正宗
刃長一尺一寸六分
- 無銘、相州正宗の極め。
由来
- 丹後国福知山藩の朽木家旧蔵にちなむ。
朽木氏は、近江国高島郡朽木谷城を本拠として代々室町幕府奉公衆を務めた家系。朽木元綱が織田・豊臣と仕えるが関ヶ原での行動を理由に万石以下に落とされる。
しかし元綱の三男である朽木稙綱が3代将軍家光に重用され、書院番頭から若年寄を務め、寛永13年には1万石の大名へと復帰する。のち加増を受け常陸国土浦3万石となる。稙綱の長男である朽木稙昌の代に3万2000石で丹波福知山藩に加増移封され、明治まで続いた。
来歴
- 大和郡山城主の柳沢家に伝来した。
5代将軍綱吉の側用人、柳沢吉保の長男である柳沢吉里が甲斐甲府藩から転じて大和郡山藩15万石の初代藩主となったのに始まり明治維新まで続いた。
- 大正13年の同家の売立で2160円で落札された。
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