弊衣
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弊衣(やれごろも)
鬼塚吉国の作刀
- 初代鬼塚吉国は新刀期の筑後を代表する業物として有名な刀工。
- 初代鬼塚吉国は陸奥国棚倉に生まれ、立花宗茂の家老由布壱岐守の斡旋で、棚倉から筑後国柳川城下に移り作刀した。
- 二代吉国はさらに久留米城下に移住している。
由来
- 水戸光圀が筑後柳川の鬼塚吉国の刀で悪僧を成敗したときに凄い切れ味を示したので、「弊衣」と付けた。
義公の時、鬼塚吉國柳川人筑後柳川住鬼塚吉國ト銘スノ刀ニテ惡僧ヲ斬リ試サセラレシ事アリ、能斬レタレバトテ弊衣ト名付ケラル、
来歴
水戸光圀
- 元は水戸光圀の所持。
加藤八郎太夫
- 加藤八郎太夫が光圀から譲り受けたという。
道口隆碩
- 後年、この鬼塚吉国を所持していた道口隆碩が明和年間の火事で焼いてしまい、焼直して試斬したところ、刃こぼれしてしまったという。
後ニ加藤八郎太夫ニ賜フ、ソレヨリ何レニ傳ヘイカナル故ニヤ道口隆碩ノ家ニ典物トナリ明和ノ火ニ焚タリ、隆碩惜ミヤキヲカヘシ罪人ノ尸ヲタメシタルニ刄カケタリ焼物ハ刄コボルヽモノナリト戸田八郎云ヘリ八郎ノ父銀次郎ハ隆碩ノ弟ナリ
明和の大火だとすると、明和9年(1772年)2月29日。
弊衣
- 弊衣とは敞衣、破絹、破れ絹と同意で傷み、より切れやすくなっている状態ということから凄い切れ味を示す。
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