小螺丸
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小螺丸(こにしまる)
太刀
越中宇多友次作
由来
- 柄の目貫が螺貝の図だったものにちなむとされる。
来歴
- 松前藩松前氏はもと蠣崎氏を名乗り安東愛季に仕えた。
- 比内城主浅利義正と和睦が成立し義正が檜山にやってきた時、蠣崎慶広の命を受けた深持季総は、酒を注ぐふりをして突然義正に斬りつけた。
- その太刀先を外して義正が逃げ出した所を、慶広がこの「小螺丸」をもって義正の高股を切って落とし仕留めた。
- 天正18年(1590年)に豊臣秀吉が奥州仕置をはじめると、主家安東実季の上洛に蝦夷地代官として帯同した。慶広は前田利家らに取りいって同年12月 (1591年1月) 秀吉に謁見を果たすと、所領を安堵と同時に従五位下・民部大輔に叙任された。
- 記念の太刀は嗣子守広が譲り受けるが、慶長13年(1608年)正月21日、火杭に落ちて早死したときに焼失した。
- 後に名乗る「松前」は、松平と前田の1文字ずつを頂戴したもの。
- その他、慶長9年3月2日には兼光の脇差を家康(一説に秀忠)より拝領している。
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