ソハヤの剣
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古来、坂上田村麻呂の佩用刀(ソハヤの剣)と称されるものが複数伝わる。
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以前よりそういう指摘があると紹介しているだけで断定はしていないのですが、このページの記述がどうしても気に食わない人がいるらしいので修正の上で注記しておきます。
Wikipediaなどでは播磨清水寺所蔵の「騒速」をソハヤの剣だと断定しているようです。ただし寺伝で「佩刀騒速」を奉納したとしていますが、「集古十種」の時点ですらまとめて「田村丸劍」となっており、騒速が三口のうちどれかも特定できていません。では家康の「妙純傳持ソハヤノツルギウツスナリ」は何を写したのかというと、結局現時点では判明していません。
Wikipediaなどでは播磨清水寺所蔵の「騒速」をソハヤの剣だと断定しているようです。ただし寺伝で「佩刀騒速」を奉納したとしていますが、「集古十種」の時点ですらまとめて「田村丸劍」となっており、騒速が三口のうちどれかも特定できていません。では家康の「妙純傳持ソハヤノツルギウツスナリ」は何を写したのかというと、結局現時点では判明していません。
黒漆剣
- 黒漆大刀
- 直刀の太刀で、切刃造。先わずかに内反り。
来歴
- 征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷の蕨手刀に対抗するために作らせた細身で重ねの厚い剛刀。
- 坂上田村麻呂は勅命により蝦夷を征伐した。この田村麻呂佩用と伝える剣が、鞍馬寺に「黒漆大刀(こくしつのたち)」として所蔵されている。
鞍馬寺ではこの「黒漆剣」を「坂上宝剣」とは呼んでいないということで、別物であるとしている。
- 昭和15年(1940年)の紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出展。
切刃造直刀 京都 鞍馬寺
長さ二尺五寸三分 元幅八分五厘
此の直刀は寺傳に坂上田村麿所用とあるごとくに製作年代は其の頃を下らざるべく鍛は小板目つまり細直刄も巧みである。猶附属する黒漆太刀拵に就ては後述参照され度い。
騒速
- 兵庫県加東市平木の御嶽山清水寺(播州清水寺、西国三十三観音第25番札所)には坂上田村麻呂奉納の大刀が伝承する。
- 寺伝では、桓武天皇の御代に坂上田村麻呂が参籠して奉納したという。
桓武天皇の頃、征夷大将軍坂上田村麻呂丹波路より参籠、蝦夷の逆賊高麿を討取り、鈴鹿山の鬼神退治を遂げたが、聖者大悲観音の霊験を受けその報謝として佩刀騒速、副剣の2振を奉納す
- 三振りの大刀が残っており、どれが佩刀騒速かはわからない。
- 刃長1尺3寸5分(41.1cm)、切刃造
- 刃長1尺4寸2分(43.2cm)、鋒両刃造
- 刃長1尺4寸2分(43.1cm)、鋒両刃造
- 昭和54年(1979年)、仁王門の建築を指導していた神戸大の多淵敏樹教授が、日本美術刀剣保存協会に調査を依頼したところ、3、4ミリのわずかな反りが刀の進化を示すことが判明した。
- 昭和56年(1981年)6月9日に、「大刀 三口 附拵金具十箇」として、騒速を含む3振の大刀が重要文化財に指定、東京国立博物館に寄託された。
- 一般公開は、重文指定の昭和56年(1981年)以来行われていなかったが、30年に一度の秘仏「十一面観世音菩薩」の特別拝観に合わせて、2017年11月に36年ぶりに特別展示された。
楚葉矢の剣
- 「楚葉矢丸」とも。
- 坂上田村麻呂所持。
- 子嶋寺の旧蔵(奈良県高市郡高取町)。
- 元禄9年(1696年)、町口右衛門伊貞というものが田村大明神の神影を再興するというので、信貴山の千手院と光明院の住持が田村麻呂の遺物と伝わる「楚葉矢の剣」と矢尻とを探しだして町口右衛門に寄付したという。
- 楚葉矢の剣というのは、┐の形になっている一種の鉾であり、25cmほどの槍の穂先が直角に曲がって9cmくらいの鎌がでた格好になっている様を指している。
ソハヤノツルギウツスナリ
太刀
銘 妙純伝持 ソハヤノツルキ/ウツスナリ
- ソハヤの剣を写したという太刀
ただし現存するソハヤの剣と思しきものはすべて剣であって湾刀ではない。写したという元の刀がどのようなものであったのかについては、現在は不明。
- 死期の迫った徳川家康が、都筑久大夫景忠に命じて江戸城内で試し切りを行わせ、大坂の役後もなお不穏な動きのある西国に対し、自らの墓所にこのソハヤノツルギの切先を西方に向けて置くよう遺言したという太刀。
- 「ソハヤノツルギ」の項参照
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