瓶割刀

瓶割刀(かめわりとう)  

太刀
二尺七寸

由来  

  • 三島神社に賊が押し入った際、瓶に潜んだ賊を瓶ごと切り伏せたことから「瓶割刀」との異名が付いたという。
    一刀斎自身が7人の賊を退治したともいう。また神前に吊されていた刀があるとき落下し、下にあった酒瓶を真っ二つにしたことからともいう。

来歴  

  • 一刀流の始祖、伊藤弥五郎影久(一刀斎)が、三島神社の神官矢田織部より与えられたもの。
  • その後、門人になった神子上典膳(小野忠明)から、代々伊藤一刀流の当主に受け継がれたという。
    諸説あり、伊藤忠也より流儀を継承した井藤忠雄から紀伊徳川家に献上されたとも。
  • 明治18年(1885年)3月、山岡鉄舟が小野家9世の小野業雄(小野忠政)から正伝を免許皆伝された際 「瓶割の太刀」と伝えられる刀も伝授されたという。
  • 山岡の死後、娘が日光山輪王寺の神庫に奉納したというが行方不明である。鉄舟の息子の山岡直紀は、鉄舟が建立した全生庵に所蔵されていたが全生庵の火災の際に焼失したと証言している。
    なお、一刀斎の瓶割刀は一文字派の作であると言われており、また山岡鉄舟が授かったのは家吉の作といい別物の可能性が高い。家吉は越前鍛冶千代鶴派の刀工。加州家吉。