悪路王
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悪路王(あくろおう)
平安時代初期の蝦夷の首長
安倍高丸とも
概要
- 蝦夷のアテルイ(阿弖流爲)と同一視されることもある。岩手や宮城、秋田、栃木など広い範囲に伝承がある。
- 坂上田村麻呂により討ち取られる。
舊田村将軍東征の時、悪路王が黨を追ひ崩し此に陣し鞭を立て軍兵を屯し給ふ、是より里人鞭楯と云ふ、又鞭館ともいふ
(新撰陸奥風土記)
- この悪路王は、安倍高丸としても登場する。
桓武天皇御宇、東夷安倍高丸暴悪の時、将軍坂上の田村丸延暦二十年二月勅を奉りて追討云々、将軍既に奥州の堺に入て敵陣に向竊に彼の高丸城宅谷岩屋を伺見給へば後は碧巌により前は蒼海に向たり、左右は鐵石きびしく閉て人馬更に通じ難し、高丸彼の城に閉ぢ籠りて軍兵又出門せず、官軍身体極り秘計術を失う
(諏訪大明神絵詞)此処に代々の御門の御宝、天下に秘蔵せられたる十六巻の書有り。異朝にも我が朝にも伝へし人一人として愚かなる事なし。異朝には太公望是を読みて、八尺の壁に上り、天に上る徳を得たり。張良は一巻の書と名付け、是を読みて、三尺の竹に上りて、虚空を翔ける。樊噲是を伝へて甲胄をよろひ、弓箭を取つて、敵に向ひて怒れば、頭の兜の鉢を通す。本朝の武士には、坂上田村丸、是を読み伝へて、悪事の高丸を取り、藤原利仁是を読みて、赤頭の四郎将軍を取る。
(義経記)
首像
- 悪路王を討ち取った坂上田村麻呂は、その首を持ち帰ったという。
- 茨城県の鹿島神宮(常陸国一之宮)には、「悪路王の首像と首桶」が収められている。現存するのは寛文4年(1664年)に奥州の藤原満清が復元奉納した木造である。同社では、悪路王は蝦夷の指導者阿弖流為を指すとしている。
- また茨城県城里町高久の鹿島神社には「悪路王面形彫刻」が伝わる。延暦年間(782~806年)の製作といい、城里町指定文化財となっている。社伝では、下野達谷窟で討った悪路王(阿弖流為)の首級を当社に納め、のちミイラ化した首の傷みがひどくなったため木製の首をつくったという。
刀
- この悪路王所用という「彫透柄の横刀」が中尊寺大長寿院に現存する。
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