音羽ノ城戸
音羽ノ城戸(おとわのきど)
戦国時代の伊賀流忍者
中忍
城戸弥左衛門
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「万川集海」にあげられる達人とされる忍者11人の中の一人。
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通称「音羽ノ城戸(おとわのきど)」。本名は不明。火縄銃の名手で、他の忍者達の間でも恐れられたほどの腕だったという。
上代より伊賀の追風として其の古への御色多由也より、謀術を傳へて、楯岡の道順、甲賀太郎兵衛、高山次郎太郎、小串大串、城戸なんど云へる名器の者、國中に充満して、其の流今に至るまで間諜の通力を傳へ、如何なる堅固の要害にも忍び入らずといふ事なし、他國にても伊賀忍とて之を重寶せり、此の如く卿士の面々兵術のみを磨くが故に、下部の輩も又此の風儀を傚ひける、
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織田信長の狙撃を2度試みたことがあり、いずれもうまく逃げおおせている。
爰に土橋の住人原田木三、印代村の住士印代判官、音羽の住人城戸の三士は伊賀乱後信長公伊陽一見の爲め入國有りて、一の宮敢國の邊に休息ありける所に、大鐵砲を以ちて信長公に討ちかけたり。
然れども信長公の天運や強かりけん三人筒先を揃へて討ち出したりしるども、其のねらひ相違して近習の侍七八人を討ち倒したるのみなりき、三人の者思ひの外討ち損じ、音羽をさして飛鳥の如く逃げ去りたり、信長公の住士等は弓に矢つがひて追ひかけたりといへども、さすがは地理も定かならず遂に討ち漏したりとかや。
此の三士文道に暗く我慢意にはより、常に會合し一人前に生米四貫目を食せしとかや、今云ふ男達の事なり。其の中よりも音羽の城戸某は謀術火術の妙を得、今尚其の流を酌むもの多し、伊賀忍といふものは此等の未流あるにや。
(伊乱記)