名刀幻想辞典

忍者

忍者(にんじゃ)

  • 「しのび(忍)」、「くさ(草)」、「かまり(屈)」、「らつぱ(乱波)」、 「すっぱ(透破、素破、水波)」とも呼ばれる。
  • また、北条氏康は「風魔」、武田信玄は「三つ者」、上杉謙信は「軒猿(のきざる)」、豊臣秀吉は「木陰(こかげ)」等とも呼んでいたという。

起源

  • 聖徳太子が「志能便」(しのび)を使ったのが起源という。それによれば伊賀の人である大伴連細人(大伴細人)を「志能便」として使ったという。

  • また、天武帝自身が天文・占星の術を得意としたと日本書紀にある。

    天渟中原瀛眞人天皇。天命開別天皇同母弟也。幼曰大海人皇子。生而有岐嶷之姿。及壯雄拔神武。能天文遁甲。納天命開別天皇女菟野皇女爲正妃。天命開別天皇元年立爲東宮
    (日本書紀)

    此御宇に当て清光の親王逆心企て、山城国愛宕郡に城都を構へ籠城しける所に、時に天武天皇の御方より多胡弥と云ふ者を忍び入れしかば、多胡弥忍び入て城内に放火しければ、天武天皇外より攻玉ひしに依て、其城忽に落しと也。是吾邦忍術を用ゐるの始め也。
    (萬川集海)

  • 戦国時代、織田信長による伊賀攻めを記録した「伊乱記」(延宝七年(1679年)、菊岡如幻著)には、御色多由也の名が見える。

    上代より伊賀の遺風とて、いにしえの御色多由也より謀術を伝う

中国での呼び名

  • 萬川集海では、「忍」とは和名であって、古代中国では「間」や「謀」と呼んだという。その他、遊偵・細作・姦細・遊士・行人などとも呼ばれたという。

    曰、中華にても此術を忍と名くるや否や。
    答曰、忍とは吾邦の号なり。呉国には間と云ひ、春秋の時分には謀と云ひ、戦国より以来、細作・遊偵・姦細など号するも忍術の支なり。又六韜には遊士と云い、李全が陰経には行人と云へり。如此、時代により主将の意によつて其の名ことなり、吾邦にて忍・夜盗・すつぱ・簪猿・三者・饗談など云類也。