順慶左文字
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順慶左文字(じゅんけいさもんじ)
- 左文字の極め
- 享保名物帳所載
順慶左文字 磨上長二尺三寸五分半 代金千五貫 松平淡路守殿
筒井順慶所持、浅野但馬守殿へ行き家康公へ上る、大坂落城の後ち蜂須賀蓬庵へ淡路を遣はされ其節拝領、表裏樋竝(ならびに)影樋、忠(こみ)裏に筒井順慶磨上ると銀象嵌、慶安二極め
- 行の棟、表裏に棒樋と添え樋をかき通す。鋩子は乱れこんで掃きかけ、尖って少し返る。目釘孔2個。
- 大磨上無銘。差表に「左」、裏に「筒井順慶磨上之」と銀象嵌が入る。
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由来
- 筒井順慶所持にちなむ。
来歴
筒井順慶
- 元は筒井順慶の所持で、象嵌銘を入れている。
筒井順慶磨上之
浅野長晟→将軍家
- 筒井順慶から浅野長晟へ伝わり、家康に献上される。
- 慶長18年(1613年)に長兄の浅野幸長が嗣子無くして病死したため、家督を相続した際に遺物として献上したものと思われる。
- ただしこの浅野家伝来には疑義が付けられている。「名物控」には浅野古紀伊守(浅野幸長)所持と書かれていたため、貞享3年(1686年)に浅野家の寺西織部に問い合わせたところ、そんな話は知らないという回答が来たのだという。
蜂須賀至鎭
- 慶長20年(1615年)正月11日、蜂須賀阿波守至鎭の大坂冬の陣での功に対して、淡路国を拝領する。この時父である蜂須賀家政が家康に拝謁し御礼を述べた際に、「順慶左文字」が下賜された。
元和元年正月十一日岡山の御陣に召れ。御感淺からざる旨御詞を蒙り。松平の御家號をゆるされ。御感状并順慶左文字の御刀等を給ひ。
十一日岡山御營に蜂須賀阿波守至鎭をめして。去年穢多が崎并仙波表の軍功を褒せられ。御感状に順慶左文字の御刀そへてたまはり。
- 享保名物帳では「蜂須賀蓬庵(家政)」としているが、家政ではなくその子至鎮であるとする。
蜂須賀家代々
- 以来蜂須賀家に伝わる。
- 当時は金三十五枚の折紙がついた。
- 慶安2年(1649年)に七十五枚に昇格。しかし享保名物帳では千五百貫とする。
左文字
正眞 長サ貳尺参寸胡粉半、但、磨上無銘、表裏樋并影樋、中心ニ左筒井順慶磨上之ト象嵌有、
代千五百貫
慶安参年寅
五月三日 本阿(花押)
「蜂須賀侯所蔵左文字刀極札」では、慶安3年(1650年)5月3日付で1500貫とする。
- 以後も蜂須賀家に伝来。
- 昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では蜂須賀正韶侯爵所持。
順慶左文字刀
長 二尺三寸五分五厘
無銘 象嵌銘表左裏筒井順慶磨上
作者 筑前國左 元應(六百十一年前)頃
傳來 筒井順慶の所持なり。浅野但馬守長晟に傳はり、長晟後ち徳川家康に贈れり。大阪冬の陣、蜂須賀安房守至鎭戦功に由り秀忠より賞賜せられたり。
- 昭和16年(1941年)4月9日に重要美術品指定、蜂須賀正氏氏の所持。
- 昭和30年(1955年)には刀剣保存協会保管となっている。
蜂須賀宗員
- 享保名物帳の「松平淡路守殿」とは、蜂須賀宗純のこと。
- 従四位下、淡路守。
- 享保元年(1716年)の生まれ、初名は松平清純。伊勢国桑名藩主・松平忠雅(奥平松平家)の次男で、のち阿波徳島藩7代藩主蜂須賀宗英の養子となるが、元文4年(1739年)に24歳で早世した。代わりに讃岐高松藩の松平大膳家から、松平頼煕の次男宗鎮が養子に迎えられている。
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