雷上動
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雷上動(らいしょうどう)
弓の名
養由基
- 元は楚国の弓の名手とうたわれた養由基(ようゆうき)のもちもの。
- 養由基は春秋時代の楚の人で、荘王・共王に仕えた。弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、百歩離れたところから柳葉を射て百発百中したという。中国においては李広とともに弓の名人として名が知られた。
中国の四大奇書の一つ「水滸伝」では、この養由基や李広に並ぶ名人であるとして、"小養由基"のあだ名を持つ龐万春、および"小李広"のあだ名を持つ花栄が登場する。
- 養由基は自分の弓を譲るべき人物を長らく探していたがついに見つからず、娘の椒花女に託し700歳で亡くなったという。その後、椒花女も亡くなろうとするときに、源頼光の夢の中に現れ、「雷上動」を託したという。
- それによると、ある夜源頼光が夢の中において、養由基の娘・椒花女(しょうかじょ枡花女)から、この雷上動と二本の鏑矢である「水破」(すいは)「兵破」(ひょうは)を授けられたという。
水破・兵破・雷上動ト云弓箭ハ、是大國ノ養由ヶ所持也、彼養由トハ楚國ノ者、秦王ノ時ノ人也、大聖文殊ノ化身也、或時文殊、養由ニ對面有テ云、汝ハ我化身也、吾汝ニ一徳ヲ教ヘントテ、文殊雙眼ノ精ヲ取テ、二ノ鏑ニ作レリ、五台山ノ麓ニ兩頭ノ蛇一ツアリ、信樂慙愧ノ衣ノ絲ヲ八尺五寸ノ絃ニヨリカケテ、一張ノ弓ヲナシ、多羅葉ヲ取集テ、直垂ト云者ニ作著、今ノ葉早黄色ト云ハ是也、柳葉ヲ的トシテ、射術ヲ教給故ニ、天下無雙ノ弓ノ上手ニテ、養由弓ヲトレハ雁列ヲ亂リ、飛鳥忽ニ地ニ落ル勢アリキ、然ニ養由七百歳ヲ經テ、天下ヲ見案スルニ、雲州ニ我弓矢ヲ傳ヘキ仁ナシ、娘ノ椒花女ト云女ニ是ヲ傳置テ、其身空ク去ニキ、
椒花女命盡ナントスル時ニ、弓ノ弟子ヲ尋ルニ本朝ニアリ、今ノ攝津守頼光是也、或時頼光晝寝シタリケルニ、天ヨリ影ノ如クナル者下テ、我養由ヨリ傳フ所ノ弓箭ヲ帯セリ、汝ニ授ケントテ、巨細ヲ語テ去ヌ、夢醒テ傍ヲ見レハ、件ノ弓矢直垂アリ、頼光是ヲ傳得テ、弓ノ徳ヲ施スニ、更ニ養由カ藝ニ劣ラス、頼光ヨリ頼國美濃守・頼綱参河守、仲政兵庫頭下總守・頼政三位マテ、子孫相傳シテ五代也、先祖ノ重宝也、
(源平盛衰記)
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