阿部藤四郎
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阿部藤四郎(あべとうしろう)
脇差
毛利家所蔵
由来
- 「阿部」の由来は不明。
来歴
- 元は川の内警固衆であった福島大和守(福島元長)所持。
- 「川の内警固衆」は、もとは安芸武田氏の郎党で、守護代として勢力を伸ばしたという。のち安芸武田氏の衰亡とともに毛利氏に仕え、毛利氏安芸水軍の一角を占める。この脇差も、もとは昔安芸武田家から拝領したものであるという。
なお福島大和守は代々の名乗りであり、どの当主かはわからない。一説に福島元長であるとされる。
- 「川の内警固衆」は、もとは安芸武田氏の郎党で、守護代として勢力を伸ばしたという。のち安芸武田氏の衰亡とともに毛利氏に仕え、毛利氏安芸水軍の一角を占める。この脇差も、もとは昔安芸武田家から拝領したものであるという。
- 天正17年(1589年)2月、広島城築城の際に、築城時の奉行を務めた福島大和守が毛利輝元に献上したという。
- 輝元は返礼として越中の宇多国宗の脇差を与えたという。
一説に、「広島」の地名の由来として、毛利家祖大江広元以来の「広」の字と、福島氏の「島」を合わせたという。ただし、通常は苗字ではなく名前に組み合わせることが多く(吉川広家、益田広兼など)、違和感がある。
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