都萬の大太刀
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都萬の大太刀(つまのおおだち)
大太刀
銘 備前則次外五人 ※後述
総長一丈一尺八寸五分(約3.54m)
刃長八尺一寸二分(約2.46m)
重さ十七貫
都萬神社所蔵
大太刀の概要
- 宝徳2年(1450年)、妻町の付近の鹿野田の住人日下部成家が、備前則次らに鍛えさせ、都萬神社に奉納したもの。
- 長銘が入る。
謹報献上妻万大明神君新之作大刀一振 始宝徳二年庚午三月二十三日 至丁卯月十七日二十五日間作業 奉納御宝殿了 大願主日州児湯郡鹿野田住人日下部成家 備前則次外五人
- つまり、宝徳2年(1450年)の3月23日に鍛え始め、4月17日に完成。25日間の鍛刀期間を要した。
- 願主は日州(日向国)児湯郡鹿野田の住人日下部成家であり、備前則次ら刀工5名が鍛刀したという。神官を務めた日下部氏と同姓であり、つながりがあると思われる。
都萬神社
- 都萬神社は宮崎県西都市大字妻にある式内社。祭神は
木花開耶姫命 。
「都萬(都万)」は「妻万」であるという。この場合「つま」ではなく「さいまん」と読むともいう。地元の一部では「さいまん」から転じたとされる「おせんさま」と呼ばれている。
- 日向国総社論社、日向国二宮論社。
- 「続日本後紀」の承和4年(837年)8月1日条に「日向国子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並預官社」と登場する。
- 「延喜式」神名帳では、日向国児湯郡に「都万神社」と記載され、式内社に列している。
- 日向国衙の在庁職にあった日下部氏は当社の神官も務め大きな影響を持ったが、室町時代以後は伊東氏からの庇護を受け中世には「妻宮」「妻万宮」「日向総廟五社大明神」などと呼ばれていたという。
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