退雷
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退雷(たいらい)
刀
二代目伊賀守金道作
号 退雷
- 二代目伊賀守金道は初代金道の長男で、はじめ三品勘兵衛と称した。
- 世人は丸惣、丸惣伊賀、ツンボ伊賀と呼んだという。寛永14年(1637年)に伊賀守受領。
- 伊賀守金道家は、家康の取次により「日本鍛冶宗匠」となり、刀工たちの朝廷への受領斡旋を一手に引き受けている。これは代々引き継がれ以後の刀工の受領名の多くがこの金道家の受領斡旋による。
由来
- 寛文11年(1671)7月6日、丹波篠山城に落雷があった。
- ちょうど藩主の寝間に落ちたが、2代藩主松平駿河守典信は天守にいたため難を逃れることが出来た。
形原松平家7代の松平康信は高槻3万6千石から慶安2年(1649年)に丹波国篠山藩5万石へ移封された。のち11代の松平信岑が、享保の大飢饉の最中に重税を課したことにより寛延元年(1748年)に丹波亀山藩5万1千石に移封されている。なお典信は翌年11月江戸で死去している。享年44。
- その時、寝間においてあった二代目伊賀守金道作の刀が落雷の振動で抜け出ていたという。当時は雷を生き物として考えていたため、雷は金道の刀に恐れをなして逃げ去ったと言われた。
- そこで典信は刀を伊賀守金道のもとに送り、金象嵌を入れさせたという。
寛文十一辛亥歳七月六日未上刻 雷落自抜出 仍退雷
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