藤嶋友重(刀工)
藤嶋友重(ふじしまともしげ)
概要
- 詳細は不明ながら、来国俊門であった初代以降は徐々に衰え、貞享ごろの7代目三郎右衞門の後は衰退したと思われる。この友重の流れを汲む加州清光が藩主前田家の記録に上作として残る。
- 藤嶋友重は、初代友重ののち、貞治頃に二代、三代は応永、四代は文安・康正、五代は延徳・永正頃。
大業物
系譜
初代
- 越前吉田郡藤島の出で、来国俊の門に入る。
- のち加賀石川郡泉村に移住し、藤島派の祖となる。
- 銘は「藤島友重」、「藤嶋」とだけも切る。
三代
- 「加州住藤原朝臣藤島友重」「加州藤原友重」など。
- 応永二年、応永十年銘など
四代
- 文安三年、康正元年銘など
五代
- 延徳元年、永正二年銘など
著名作
- 火車切
- 藤島友重作の火車切。松平近正所持、諏訪家伝来。
- 太刀
- 銘「藤嶋」長61.9cm。南北朝時代。2011年3月25日福井県指定有形文化財。福井県立歴史博物館所蔵
- 刀
- 銘「州藤原住友重」長71.4cm、反り2.9cm。室町時代。石川県立美術館所蔵
- 脇指
- 銘「藤嶋友重」長36.8cm。室町時代。石川県立美術館所蔵
- 脇指
- 銘「藤嶋友重」長55.3cm、反り1.9cm。室町時代。石川県立美術館所蔵
- 脇指
- 銘「加州住藤嶋友重」長50.4cm、反り1.5cm。江戸時代。石川県立美術館所蔵
- 薙刀
- 銘「藤嶋友重」長36.4cm。江戸時代。石川県立美術館所蔵
- 槍
- 両鎬造 銘「加州住藤嶋友重」長60.1cm。江戸時代。石川県立美術館所蔵
参考
- 藤嶋友重は、「古刀銘盡大全」に「来國俊弟子 生國越前」とあり、これを初代として各代続いた刀工である。
- 金澤古跡誌では古書を引いて次のように述べている。
賞劒定則に云ふ。藤島友重は本国越前吉田郡藤島と云ふ所の人也。嘉暦・正和の頃、加賀国石川郡泉村へ移住す。是元祖友重にて、来国俊の弟子也。建武四年に四十九歳にて歿す。二代友重は貞和の頃にて、是も泉村に居住し、慶安(康安)三年五十二歳にて歿す。三代友重も亦同所に居住すといへり、加賀古跡考に云ふ。友重は石川郡泉村に居住して、代々友重と呼べり。六代目友重は俗名作兵衛と名乗り、寛永年中泉村より金澤へ出で、七代目友重を三郎右衛門と云ひ、是も金澤に居住して貞享年中まで存命し、其の後子孫退転す。平次按ずるに、改作所舊記に載せたる貞享三年六月の鍛冶調書に、友重の名を記載せず。此の頃既に友重の子孫断絶せしなるべし。但し今石川郡白山村神主町の入口に野鍛冶あり。藤島友重の子孫なりといひ傳へたり。
- 石川県史においても次のように記載されている。
加賀の新刀期に於いて在來派の第一に掲ぐべきは藤島系なり。是等本統たる友重累銘は鍛道不振にして、その存在極めて微々たり。且つ彼等の作風も古傳を繼承するものなく、一般加州新刀の列伍に班して、僅かに凡庸の實用刀を遺せるに過ぎず。その中次兵衞友重は慶長前後の刀工なるべく、加州住藤原友重と稍細銘に切り、次の次兵衞友重は寛永頃、次の三郎右衞門友重は貞享頃の人にして、共に藤島友重と太銘に切り、時に藤原と切りたるも存す。而して貞享の後その系を絶ちたるものゝ如く、享保の鍛冶取調書にもその名を見ず。思ふに鍛刀不振期に入りて他業に轉じたるものなるべし。尚現に石川郡松任に友重の後裔と稱するものありて、舊と道法寺屋と號し、現に藤島氏を冐すといへども、三郎右衞門の後系にはあらず。その刀工を業とせしや否やも確實ならざるなり。
関連項目
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