藤原清人


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 藤原清人(ふじわらのきよんど)

江戸後期の刀工
新々刀

  • 源清麿の弟子
  • 源清麿自刃の際、多くの門人たちは離散するが、その中で藤原清人が一人残り、清磨の残した三十余口の刀債を3年かけて完済し、師の恩義に報いたという。

 生涯

  • 仙台藩士長野清右衛門の八男として生まれる。幼名小市郎。
  • 幼いころ、母の兄で出羽庄内藩御用鍛冶を務める斎藤小四郎の養子になり、斎藤一郎と称す。
  • 斎藤家は先祖から刀鍛冶で代々小四郎と称し、清人は12代目に当たる。家伝によれば京都三条で禁裏鍛冶を務めたという。
  • 嘉永5(1852)年に江戸に出て、当時江戸三匠といわれた山浦清磨(源清麿)の門に入る。
  • 銘は初め金重、清仁、正行。
  • 神田小川町に自立、出羽庄内藩より五人扶持を給され庄内藩9代藩主酒井忠発(ただあき)の佩刀を作る。
  • 嘉永7年(1854年)に師の源清麿が自害すると、残っていた工債を引き受け、また清麿の内妻の生活扶助をしたという。
  • 安政3年(1856年)2月に独立し、神田小川町で開業する。
  • 安政5年(1858年)藩主より五人扶持を与えられる。
  • 慶応3年(1867年)7月13日、京都に上り朝廷に献刀して豊前守受領。同年12月に故郷に引き上げる。
  • 明治24年(1891年)10月3日没。

 作刀

  • 「斎藤一郎 藤原清人作/文久三年八月日」

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