薄霞正宗
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薄霞正宗(うすがすみまさむね)
相州正宗作
光格天皇の愛刀
由来
- 号の由来は不明。
来歴
- 水戸家中興の英主、6代藩主徳川治保が献上したもの。
- 天明の大飢饉などにより悪化していた藩財政を立て直し、さらに2代藩主徳川光圀ならって学問奨励を行った。また停滞していた「大日本史」の編纂事業を起動に乗せている。
- 水戸藩は代々朝廷とのつながりがあり、治保の正室も、父とともに桜町天皇の側近として活躍した一条道香の娘である。ただし治保が生まれた時にはすでに桜町上皇は崩御していた。のち尊号一件では松平定信に賛成し、朝廷側の意見を退けている。
- 嘉永7年(1854年)4月、皇居が炎上した際にこの正宗も焼けているが、金具は保存してあった。※この火災で幕府が献上した「早川正宗」も焼けている。
- そのため、治保の孫である水戸藩9代藩主徳川斉昭が自作の一刀を献上すると、それに「薄霞」の残っていた金具を付け、玉体守護の剣とした。
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