蓮井の太刀
蓮井の太刀(はすいのたち)
大太刀
鬼勝象之介佩用
183.6cm
正住寺所蔵(和歌山市)
由来
- 寛永ごろの横綱、
蓮井象之介 (鬼勝象之介)の太刀。 - 鬼勝は紀州藩お抱えの力士で、身の丈7尺4寸5分(223cm)あったという。
- 伊賀から肥前守鎮忠を呼び、大刀は四尺五寸、小刀は三尺余に造らせた。
- これには長文の銘が入っていた。
江州浅井郡ノ産、蓮井象之助鬼勝、行年二十九。身長七尺、強膂力、人ニ過ギ、又相撲ヲ能クス。此ト敵スル者有ル無シ。頃年来、紀州ニ在リ、一時、良治ヲシテ、自ラ佩ク所ノ刀ヲ鋳セシム。勢イ長戟ノ如ク、鬼勝之ヲ揮イ、之ヲ撃ツニ、其ノ易キコト骰子ヲ転バスガ如シ。亦快ナラザランカ。希世ノ巨力、希代ノ大男子ト謂ウ可キ者也。南紀ニ於テ、肥前守藤原鎮忠造、寛永丁丑十四年八月
- この逸話は江戸後期の「柔話」に残る。
元禄の末。宝永のころにや。紀州に蓮井象之助といふ角力ありき。江州出生にて身丈七尺有余。 □□□□実に一生の□□□□なり。当時御秘蔵の者にて抜群の力士なりき。腰のものハ新たに打たせられて下さる。 刀六尺弐寸程。鞘にて四尺六寸余。柄壱尺五寸余。脇差ハ三尺五寸程。鞘にて弐尺七寸余。柄八寸余也。 大小とも革柄。さめハなく銅うち出しの漆塗也。皆銅拵にて身鞘つきつめ常人のとりあつかはるゝ物にはあらず。 さて此象之助。力ハ巌をもぬくべく虎狼をも礫にしつべし。秀たるハ嫉るゝのならひ。殊に角力には相人なく。 いかなる大力名誉の者も小児をあつかふに事ならず有しとか。されバ野心をさしはさみしが。惜かな二十九歳にて毒にあてられたりき。 君殊の外に痛ミ哀しませ給ひて。吹上寺に隣れる正住寺に葬り。彼が身の丈七尺余に石の五輪塔を建させられ弔ハせ給ひ。 其腰物も其寺に納させられしとぞ。
長さが異なるが、現存刀の長さからすると六尺二寸(刃長四尺六寸余)が正しいようだ。東長町にあり昔は真言宗なりしは廃頽に及しを文明年中妙覚寺十三世真如院日住聖人再興して法華寺とせり因て日住を開山とす旧湊魚店にあり慶長年中元寺町に移る寛永年中今の地に移る此寺に蓮井象之助の石塔あり又象之助平生佩る所の双刀あり(紀伊続風土記 正住寺)
- 蓮井象之助のお墓がある和歌山市の正住寺に伝わる。
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