茶道系譜
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茶道系譜(さどうけいふ)
┌─足利義政 ┌─今井宗久 ┌─織田有楽斎 【表千家】 │ │ │ ┌─千宗左 ├─宗悟─┐ ├─津田宗及 ├─高山右近 │ │ │ │ │ │【武者小路千家】 村田珠光─┼─宗陳─┴─武野紹鴎─┼─千利休(宗易)─┼─千宗淳───千宗旦─┼─千宗守 │ │ │ │ ├─牡丹花肖柏 ├─細川幽斎 ├─蒲生氏郷 │【裏千家】 │ │ │ └─千宗室 └─津田宗伯 └─神屋宗湛 │ └─古田織部──┬─本阿弥光悦 │ └─小堀遠州──沢庵宗彭
- 鳥居引拙
- 鳥居引拙は珠光の次男とも、弟子ともいう。屋号は天王寺屋。山上宗二は、珠光に次ぐ名人といい、山上宗二記では、村田珠光、武野紹鴎と並び「古今の名人」とされる。「楢柴肩衝」、「蕪なしの花入れ」、「引拙茶碗」などを所持した。彼の所持した茶器は、「引拙名物」と呼ばれ、三十種類あったとされる。
引拙ハ名人也、茄子ナラシハ、其外卅色計所持ス、
引拙ハ十月時雨ノ比ノ木葉亂ルゝニ似リ、七十ニテ死去
- 十四屋宗悟
- 姓は松本。号は卒休斎、休斎。村田珠光の弟子で、十四屋宗陳とともに紹鴎に茶を伝授したという。近江大津の出身。
下京宗悟、茶湯スキタル人也、但、目キカヌナリ、小道具數多所持、善キ道具無
- 十四屋宗陳
- 姓は松本。京都五条に住んだ。村田珠光の弟子で、十四屋宗悟とは同門。武野紹鴎は、「山上宗二記」では藤田宗理に師事して茶道を学んだとされ、また「南方録」では十四屋宗陳および十四屋宗悟から茶道を学んだという。
宗易の物がたり、珠光の弟子、宗陳、宗悟と云人あり。紹鴎はこの二人に茶湯稽古修行ありしなり。宗易の師匠は紹鴎一人にてはなし。(略)また道陳と紹鴎、別して間よかりければ、互に茶の吟味どもありしなり。宗易は与四郎とて十七歳の時より専茶をこのみ、かの道陳にけいこせらる。道陳引合にて紹鴎の弟子になられしなり。
- 辻玄哉
- 禁裏御用達の呉服商とも、あるいは堺の町衆ともいう。屋号は墨屋。紹鴎に茶を学び(小壺大事一人ニ相伝也)、千利休に珠光以来の台子点前を伝授したという。
ただし、山上宗二は酷評している。玄哉 連歌師昌叱弟子、新在家、辻氏、紹巴一座、茶人紹鷗弟子文有、指月集
(顕伝明名録)紹鴎一ノ弟子、小壺大事迄一人ニ相伝也
(茶器名物集)
子の五助等政が母の姓をとり松尾氏と改めたため、辻玄哉は松尾流茶道の流祖とされる。辻玄哉ハ紹鴎ノ一ノ弟子、小壺ノ大事マテ一人相傳也、但、目モキカズ、茶湯モ天下一の下手也、上手ノ弟子ニ成テモ不作意ノ人ハ下手也
- 孫に松尾宗二(物斎、楽只軒。通称甚助)─宗政─宗俊と続く。
- 松尾流の初代とされる松尾宗二(楽只斎、通称治兵衛)は、もと近江の生まれで松尾家の養子に入り、始めは町田秋波に茶を学び表千家6代覚々斎のもとで奥儀を極めた。
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