芝吉光


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 芝吉光(しばよしみつ)

短刀
九寸五分

 由来

  • 江戸の芝で銭五十文で買ってきた短刀を、あちこち売られた後に無縁坂の業者が二百文で買ったものにちなむという。

    御家の芝吉光と云は、元來芝にて銭五拾文に買出し、其後あなたこなた賣廻船り、百文より二百文に買とり申は無縁坂の者也。

 来歴

  • 本阿弥光温がそれを五百文で買い上げて研ぎあげたところ、粟田口藤四郎の正真で、銘は大口の「吉光」二字銘であった。

    店に懸置たるを、本阿彌光雲見付て、五百文に買取て、硎之見候得ば吉光に極たり。

    • ※大口銘の「吉光」は晩年の作とされる。
  • 本阿弥光温が加賀藩主前田利常に見せたところ、金子二百枚でお買い上げになったという。
  • 光温は五百文で買ったものですからと百枚を返した。しかしその後5~6年の間に何かに付け五枚、十枚とくだされ、結局二百枚でお買い上げしたものと同じになったという。

    依て彼吉光を持参し御覧に入れけるに、以ての外御機嫌にて金子二百枚賜はりたり。光雲(本阿弥光温)即頂戴仕、津田玄蕃に向かひて、此脇差は實は私求め出したり。漸々代銭五百文にて買留申道具にて御座候。然處に砥立見申處、大口吉光に候ゆゑ指上げたり。然るに過分の金子拝領仕、難有次第に候へども、甚過分至極、其上極被仰付時分邪魔に罷成り候間、二百枚の内百枚は返上、百枚は拝領可仕とて、百枚返上仕たり。
    其旨申上候處、申上方宜被爲聞召けるよしにて、其儘被成置其後五枚・十枚宛ものごとに事寄せられ、五・六年の間に百枚分賜はり、遂に二百枚頂戴せり。

  • のち本阿弥家では五百枚の折紙をつけている。

    其後光雲(本阿弥光温)に極め被仰付候處、代金五百枚に極りたり。金子千枚の御腰物也と云ふ。

  • 加賀前田家所蔵。
  • しかし文化の頃にはもう前田家を離れていた。

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