紅葉山信国
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紅葉山信国(もみじやまのぶくに)
刀
銘 信国
一尺五分
- 京都信国の作
由来
- 元は紅葉山の宝蔵所蔵のものを寛文6年(1666年)に将軍御用に移したもの。
来歴
- 寛政2年(1790年)4月に上覧。
四月廿四日、左之御道具
上覧ニ相廻ル、御名物御道具、是者帳面ニ而、
一、紅葉山信国
是ハ御由緒不別、寛文六午年十月八日
紅葉山ゟ来ル、
- 紅葉山信国は、明治後皇室御物となった。
紅葉山御宮(紅葉山東照宮)
- 紅葉山とは、かつて江戸城内西の丸にあった小山のこと。古くは「鷲の森」とも呼ばれた。太田道灌の江戸城築城以前から存在するという。
- 紅葉山御宮が家康の霊廟となって以降は代々の将軍家の霊廟とされた。また文庫も築かれ紅葉山文庫と呼ばれていた。
- 紅葉山御宮(紅葉山東照宮)は、その後も代々の将軍の霊廟が営まれた。
宝蔵
- ここに百間蔵屋敷があり、寛永16年(1639年)に文庫が移転し、翌年に宝蔵と改称された。
- 大原真守(重要文化財)のほか、実用刀が18口納められていた。
- また、清和天皇よりお譲りの源氏の重宝「天国の剣」、源頼光の刀、大江山対峙のさいの藤原国政の太刀、源頼朝の友切丸(刃長二尺三寸、金拵え月)、源頼近の髭切の太刀、牛若丸の太刀、源三位頼政の薄緑の太刀、武田信玄の太刀、上杉謙信の太刀など由緒の怪しげなものが保管されていたという。
霊廟
- 家康と秀忠が単独で霊廟が立てられており、3代家光、4代家綱、5代綱吉と単独で霊廟が作られる。しかしその後は合葬され、3代・11代家斉・13代家定、4代家綱・家治第三子家基、5代綱吉・8代吉宗・10台家治、6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶がそれぞれ合葬となった。
明治以後
- 明治に入り、紅葉山東照宮(霊廟)は撤去されている。
明治元年十二月十九日朝廷徳川家達ニ命ジテ、紅葉山の霊屋ヲ撤セシム
- 紅葉山文庫もまた維新後に駿府へ移設され、その後なくなってしまった。
- 現在この紅葉山には「紅葉山御養蚕所」などが置かれている。
現在の皇居・宮内庁庁舎の北西側、下道灌濠と中道灌濠、局門に囲まれた内側のあたり。グーグルマップで見ると「皇居」というマークが出る辺りが紅葉山の位置。
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