稲丸


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 稲丸(いなまる)

太刀
号 稲丸

  • 京極氏の総領に伝えられた太刀
  • 京極高詮の譲状に登場する。
Table of Contents

 概要

 京極氏

  • 京極高詮は佐々木道誉(佐々木高氏)の嫡孫。
    道誉の三男が佐々木高秀(京極高秀)で、長兄・秀綱、次兄・高橋秀宗が共に戦死したために家督を継ぎ、出雲国・飛騨国・隠岐国守護となった。のち康暦の政変(1377年)では室町幕府管領・細川頼之を失脚させることに成功するが、京極氏の領国はすべて取り上げられ、1381年にようやく飛騨国のみが返還された。この京極高秀の嫡子が京極高詮である。高詮は一時宗家六角氏頼の跡取りとして入っており、近江守護となるが、7年後の1377には解職され京極氏に戻っている。

 京極高詮

  • 明徳2年(1391年)に父・京極高秀が亡くなると高詮は家督を継ぎ、飛騨守護となった。
  • 高詮は同年に起こった明徳の乱では幕府方について京都の内野合戦で戦功を上げ、翌年に出雲・隠岐守護へと任ぜられる。
    出雲には弟・尼子高久の子・持久を守護代として派遣し、その子孫は戦国大名の尼子氏となる。
    【京極氏】
    佐々木道誉─┬秀綱
          └高秀─┬高詮─┬高光─┬持高
              │   │   └持清─┬勝秀─┬高清
              │   │       ├政光 └孫童子丸
              │   │       └政経
              │   │
              │   └高数─┬教久【京極加州家】
              │       └多賀高忠
              │
              │【尼子氏】
              ├高久─┬詮久【近江尼子氏】
              │   │
              │   │【出雲尼子氏】
              │   └持久─┬清定──経久
              │       └山中幸久【山中氏】
              └秀益【宍道氏】
    
  • また侍所頭人も務めており、明徳の乱に敗れ京都の五条坊門高倉に潜伏していた山名満幸を捕らえて処刑している。
  • 応永6年(1399年)末に勃発した応永の乱でも幕府方の部将として活躍し、乱後に義満から石見守護職も与えられ、さらに同年に山城守護にも任じられ父・高秀時代の京極氏の勢力をほぼ回復している。
  • 応永8年(1401年)に出雲・隠岐・飛騨の守護職を嫡男・高光に継がせており、このときの譲り状が残る。

       鹿苑院殿様
          御判
    譲與    條々
      合
    一、出雲隠岐飛騨三箇國守護職并所領等
    一、諸所領事註文別紙在之、
    一、総領職事付稲丸
    右所令譲與民部少輔高光也、次高數、同一族并家人等、如此間、加扶持、不相替浄髙可致奉公之忠節、仍狀如件、
           應永八年八月廿五日   浄髙

    浄髙は京極高詮の法名。民部少輔高光は嫡男、高數は次男京極高数。京極高光は応永20年(1413年)に死去し子の京極持高が継いだが、持高に子がなくこの時に京極高数が家督をついだとする説がある。なお京極高数の長男・教久は別家・京極加州家を興した。また高数の次男は多賀豊後守家の家督を継いだ。これが名所司代として知られる多賀高忠である。

  • 相続後程なく、9月7日に京極高詮は死去。享年49。

    七日、癸巳近江飛騨出雲石見隠岐五國守護從五位下治部少輔京極高詮卒ス、


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