秋田藤四郎
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秋田藤四郎(あきたとうしろう)
由来
来歴
- 豊前小倉藩主小笠原氏に伝わる。
- 昭和12年(1937年)2月16日に重要美術品指定。小笠原忠春伯爵所持。
- 昭和34年(1959年)6月27日に重要文化財指定を受ける。
- 昭和40年頃には
永藤一 氏蔵。
- 永芳子氏蔵であったが、寄贈を受け現在は京都国立博物館所蔵(独立行政法人国立文化財機構所有、京都国立博物館保管)。
秋田家
- 秋田実季(安東実季)は安東愛季の次男。
安東氏
- 安東氏は、安倍貞任の末裔と伝承される北方の名門。
- 戦国時代の安東氏は、雄物川河口部に拠った上国家の「湊安東氏」と米代川河口部の檜山城(秋田県能代市)を本拠とする「檜山安東氏」に分立していた。
- 檜山安東家出身の下国愛季(安東実季の父)の代で統合を果たし、男鹿半島の付け根部分に立地して日本海をのぞむ脇本城(秋田県男鹿市)に居城を移し、安東氏の全盛期を築き上げた。
秋田城介(秋田実季)
- 実季は天正18年(1590年)以降秀吉に服し、奥州仕置後に雄物川河口の土崎湊に堀をともなう湊城を築いて本拠をここに移し、秋田城介を号して「秋田氏」を名乗った。(安東実季→秋田実季)
- 文禄の役の際名護屋に駐屯した。
- 関が原の戦いで東軍に属し、戦功により慶長7年(1602年)宍戸城5万石を賜り、常陸宍戸藩の初代藩主となる。
- 慶長16年1月、従来自称してきた従五位下秋田城介に正式に補任された。
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