秋田則重


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 秋田則重(あきたのりしげ)

短刀
刃長八寸六分

  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    秋田則重 長八寸六分 代金百枚 御物
    秋田城之介所持、表剣うら梵字

  • 表素剣、裏梵字の彫物。

 由来

  • 秋田城介家の伝来刀
    安東愛季の次男秋田実季は、秋田城介を自称し秋田氏を名乗る。のち慶長16年(1611年)には、従来自称してきた従五位下秋田城介に正式に補任された。

 来歴

  • 秋田家の所持。
  • 黒田長政が買い上げる。このとき秋田家が代50両というのに対して、黒田家では100両贈ったという。

    秋田則重小脇指 八寸六歩代金七拾枚
    秋田城野之家に、古来所持之名物也シヲ、長政公御求被成、秋田殿ヨリ代金五拾枚と申来たれ共、御所望をかなへられ御満足に思召、御礼として金百枚被遣候也、忠之公御遺物として、此則重と木之丸茶入を家光公江被献候也
    (黒田御家御重宝故実)

  • のち長政の孫黒田光之が、承応3年(1654年)5月に筑前福岡藩3代藩主を襲封した際に、御礼として将軍家に献上する。

    五月三日襲封を謝するのとき、家臣三人御前に出る。(略)この日父が遺物秋田則重の短刀および木丸の茶入をたてまつる。
    (寛政重脩諸家譜)


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