秋田了戒
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秋田了戒(あきたりょうかい)
- 享保名物帳所載
秋田了戒 在銘長九寸 代金二十五枚 松平加賀守殿
秋田城之助殿所持也、其後利常卿御求めなり、頼朝公の御家人藤九郎盛長子孫を世々秋田城之助と云、其筋にはあらず安藤太郎と云人の筋に秋田城之介と云人あり、其人の所持なり、今美濃守殿先祖なり、鵜首造り下凌なし長刀樋添有之。
由来
- 秋田城之介所持にちなむ。
- 常陸宍戸城主下国実季は安東太郎、秋田実季を名乗る。のち秋田城之介。天正4年(1576年)生まれ、万治2年(1660年)没。
- 享保名物帳の記す「頼朝公の御家人藤九郎盛長」とは鎌倉時代初期の頼朝御家人の安達盛長(藤九郎)」のことで、この子孫が「秋田城介」に任ぜられ名乗ったことを指している。※要するに「鶴丸国永」を所持したと伝わる一族。
- しかし本刀の号の由来である「秋田城之介」とはその家系ではなく(其筋にはあらず)、安倍貞任の末裔を称する安東氏(秋田氏)の秋田実季が戦国末期に自称し、後に任ぜられた「秋田城介」のことであると述べている。
ただし「今美濃守殿先祖なり」は「信濃守殿」の誤りで、享保頃の5代当主秋田輝季(従五位下・信濃守)、あるいは6代当主秋田頼季(従五位下・信濃守)のことであると思われる。
来歴
- 元は秋田実季の所持。
- のち前田利常が買い求め、以降加賀藩前田家に伝わる。
- はじめ五百貫の折紙、寛文3年(1663年)に二十五枚に改まる。
- 昭和8年(1933年)1月23日に旧国宝指定。
刀劔
短刀 銘了戒
東京府東京市目黒區駒場町
侯爵 前田利為
(昭和8年 文部省告示第十四號)
- 戦後同家を出て、重要文化財指定。
- 昭和44年(1969年)時点では岡島千代氏蔵
- 現存
写し
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