禡祭剣
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禡祭剣(ばさいけん)
- 両切刃造の剣。
- 表裏に樋があり、その中に梵字が表に46個金象嵌、裏に63個金銀象嵌で入る。表梵字下に七曜星も象嵌されている。いわゆる七星剣のひとつ。
- 大ぶりの目釘孔1個
- 錆で黒化しているために刃紋などは確認できないが、平安時代中期から後期の作とされる。
- 鞘には、十二支が表裏に分けて6支ずつ、金梨地に平蒔絵となっている。
- 明治24年(1891年)に今村長賀がこの「御拵付古剣」を拝見しており、その時の記録では「金銅三鈷の目貫」と記されるが、現在は柄は残っていない。
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由来
- 上杉謙信が禡祭(ばさい)に用いた剣。
- ※「禡」は示偏に馬。
来歴
- 出陣前の謙信は、春日山城内に設けた護摩堂へ参籠し、禡祭壇に摩利支天を祀り護摩を焚き、軍神が降下して我が作戦を見守ることを祈った。その時に用いたのが「禡祭剣」(ばさいけん)であった。
- この後、戦陣において「武禘祭(武禘式)」を行い戦勝祈願と戦意高揚を行うのが常であったという。
禡祭御用御剣の儀、謙信公摩利支天法修行の際、護摩壇に於て御用被遊品
- のち上杉神社に寄進される。
- 明治24年(1891年)に今村長賀が調査しており、その時の記録では「御拵付古剣」として「金銅三鈷の目貫」と記されている。これによりこの時点では柄が付いていたことがわかるが、現在は柄は失われている。上杉家資料によれば、明治26年(1893年)に盗難にあったという。
- 大正6年(1917年)4月5日に旧国宝指定。上杉神社蔵
丙種 刀劔
劔 無銘梵字及七星ノ金銀象嵌アリ
鞘十二支蒔繪 傳上杉謙信所持
山形縣米澤市南堀町 上杉神社
(大正6年文部省告示第七十二號)長一尺三寸七分、茎三寸九分、表ニ七曜星、上ニ梵字四十六字、裏ニ梵字六十三字、金銀象嵌、鞘金梨地・蒔繪十二支、明治二十六年、柄・栗形盗難ニ罹リテナシ、上杉家記録ニ「禡祭御用御劒ノ儀、謙信公、摩利支天法御修行之際、護摩壇ニ於テ、御用被遊候品」、トアリ、
- 上杉神社の宝物館
稽照殿 にて、不定期に公開されている。
禡祭礼(ばさいれい)
- 「
禡祭 」とは中国に古くからあった軍神を祀る祭りで、行軍先で昔の武神を祀り作戦の成功を祈った。 - 摩利支天、大黒天、弁財天。または弁財天の代わりに毘沙門天を入れて軍神三神と呼んだ。また陰陽家では上棟式でまつる玉女を軍神とした。
- 謙信は真言宗の阿闍梨権大僧都でもあるため、この禡祭を密教様式で行っている。
謙信は高野山金剛峯寺無量光院の第3世清胤を崇敬しており、上洛の度に必ず清胤の元を訪れた。永禄5年(1560年)には清胤を越後に招き宝幢寺を寄贈し、天正2年(1574年)には再度越後に招いて正式に師弟の契りを交えている。
清胤は謙信の修行の導師を務め、同年12月謙信に四度の法会灌頂を授け、法印大和尚とした。この時から謙信は剃髪し法体となる。さらに天正4年(1576年)、最終段階の灌頂を授け阿闍梨権大僧都とした。
毘沙門天と不動明王
- なお本刀に刻まれている梵字は、不動慈救呪(表 第一咒)、不動能成就(表 第二咒)、不動剣印(裏 第三咒)であることが指摘されている。
- つまり、禡祭礼で摩利支天に捧げるたぐいの物ではなく、西山要一氏は、本来は「不動明王剣」とでも呼ばれるべき剣が「何時のころかに混同したものであろう」としている。
実際に上杉謙信が禡祭(ばさい)に用いた剣であり、実態としての「禡祭剣」には違いない。
- ただし謙信の不動明王信仰は広く知られており、上杉軍では有名な「毘」の旗(毘の一字旗)の他に、不動明王の倶利伽羅龍を示す「龍」の旗(懸かり乱れの龍)を併用した。この「懸かり乱れ龍の旗」が謙信本陣にはためく時、それは全軍突撃を意味した。
- 密教形式で禡祭礼を行った謙信にとっては、不動明王こそ戦いの前に祈りを捧げる軍神であった可能性もある。
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