福島正宗
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福島正宗(ふくしままさむね)
刀
大磨上
二尺二寸九分
- 享保名物帳所載
福島正宗 象嵌銘長二尺二寸九分 代千貫 浅野但馬守殿
由緒不知もと光淳所持にて七百貫也
由来
- 由来は不明だが、福島正則所持にちなむとされる。
来歴
- もとは本阿弥光徳の弟光淳の所持で、七百貫の折り紙つき。
- 享保名物帳編纂の時には浅野但馬守 ※ただし「日本刀大百科事典」では安芸守吉長でなければならないとする。
浅野吉長は安芸広島藩の5代藩主。元禄元年(1688年)に将軍綱吉に拝謁し、元禄8年(1695年)に従四位下・備後守に叙任される。宝永5年(1708年)に家督を継ぎ、同年11月に安芸守。同年12月に侍従。宝暦2年(1752年)に広島で死去。跡は長男の宗恒が継いだ。
なお広島藩主は初代となった浅野長晟が但馬守を任じられているが、その後は安芸守が続いている。安芸守吉長の跡を継いだ6代宗恒が行部大輔、侍従と進み、家督相続後に安芸守と改める。のち宝暦13年(1763年)に長男の重晟に家督を譲って隠居するが隠居後に但馬守へと改めている。浅野光晟以降隠居後の宗恒まで、少なくとも享保年間に「浅野但馬守殿」と名乗った広島藩主はいない。
- 代千貫
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