猪切


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 猪切(いのししぎり)


銘 正真
金象嵌 猪切
刃長二尺三寸(70.8cm)
三河武士のやかた家康館所蔵

  • 村正の一派、三河文珠派の藤原正真(まさざね)の作。
    藤原正真の作には他に天下三槍と称される「蜻蛉切」もある。
  • 「正真」の二字銘。

 由来

  • 酒井忠次が家康のお供で狩りに出た時に猪を切ったため、なかごに「猪切」と金象嵌を入れたことにちなむ。

 来歴

  • 酒井忠次は、徳川家康の股肱の臣で、徳川四天王・徳川十六神将のいずれにおいても筆頭に名が上がる第一の功臣とされる。
  • 忠次の正室は松平清康(家康祖父)の娘碓井姫であり、碓井姫の母は於富の方(源応尼、華陽院)になる。於富の方は美人であったとされ、初め水野忠政に、のち松平清康に嫁いで碓井姫を生んでいる。この碓井姫は松平政忠に嫁ぎ松平康忠を産んだのち酒井忠次に嫁ぎ酒井家次や本多康俊らを産んでいる。
                    加藤清正
                     ├────八十姫
            ┌水野忠守  ┌かな     │
     水野忠政   ├水野忠重──┴水野勝成  徳川頼宣(紀州徳川家)
       ├────┤      ┌松平康元
       │    │久松俊勝  ├松平康俊
       │    │  ├───┴松平定勝(久松松平家)
       │    └於大の方
     於富の方      ├────徳川家康(徳川宗家)
       │  ┌──松平広忠
       │  │    
       │  │  松平政忠
       │  │   ├─────松平康忠(長沢松平家、近江膳所藩)
       ├─────碓井姫
     松平清康 │   ├────┬酒井家次──酒井忠勝(酒井左衛門尉家、出羽庄内藩)
       ├──┘  酒井忠次  └本多康俊(伊奈本多氏)
     青木貞景娘
    
    かなり複雑だが、酒井忠次は家康にとっては父(異母)母(異父)双方の妹の夫、つまり義理の叔父にあたり、また子の酒井家次は家康の従弟にあたる。
  • 酒井忠次の嫡子家次は越後高田藩10万石、その嫡男の酒井忠勝(忠次嫡孫)は信濃松代藩主を経て、出羽庄内藩13万8千石の初代藩主となった。その後も加増され、最終的には17万石を領し、譜代屈指の大身として重きを成した。
  • 本刀は忠次四男・久恒の松平甚三郎家(庄内藩主席家老)の家に伝来した。
    忠次四男の甚三郎は、当初松平三郎二郎親俊(福釜松平家)の養子となるが、のち故ありて家に戻ったという。この家系は松平甚三郎家・松平武右衛門家と称し、庄内藩家老として続いた。
  • 現存




 国宝「真光」

  • 酒井忠次には信長より拝領の銘真光も伝わる。

    太刀
    銘 真光 附 糸巻太刀
    長77.3cm 反り2.7cm 元幅3.2cm 先幅2.0cm 鋒長3.0cm 茎長21.4cm
    国宝
    致道博物館所蔵

  • 長篠の合戦において、酒井忠次は後方の鳶ヶ巣山の砦を落とすことを進言し、それにより武田方の退路を立つことに成功したと伝わる。
    軍議で献策をした忠次に対し信長は一蹴する。しかし軍議を終えた後忠次を呼び出した信長は、三河兵の他に鉄砲500丁と金森長近も加えて作戦を決行させたと常山紀談では伝える。
  • 天正10年、武田勝頼を天目山に追い詰め滅ぼした後、甲斐の処理が終わった信長は忠次の三河吉田城を訪れ、長篠の際の策を進言した忠次を激賞し、黄金二百両と備前長船真光を贈ったという。
  • 酒井家に伝来し、現在は致道博物館で所蔵する。国宝

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