牛切丸
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牛切丸(うしきりまる)
太刀
銘 一(号 牛切丸)
刃長81.8cm、反り1.5cm
那須神社所蔵(那須与一伝承館寄託)
- 一文字銘、鎬造、庵棟
- 鋒は中鋒で乱れ込み、掃き掛け尖る。茎先は栗尻、目釘孔一 つ。
由来
- 奥州白河の小峰城主白河義親(白川大関入道義親、不説斎)が所持していた。
- ある時那須野ヶ原で鷹狩りを開いていたときのこと、突然一頭の牛が義親の前に出てきて一声鳴いたため、義親の腕にいた鷹が驚き逃げ去ってしまった。
- 怒った義親は差していた太刀でその牛を切り捨てたところ一刀両断してしまったため、以後その太刀を「牛切丸」と号したという。
- 白河義親は、娘の婿に大関高増の長男晴増を迎え、養嗣子としている。この大関晴増は、天正15年(1587年)に大関家の家督を継いだ実弟の大関清増が休止したために実父大関高増の要請を受けて大関家に戻り家督を継いだ。
- その後、実弟大関資増が継いだのち、晴増の息子で白河(小峰)義親の血を引く大関政増の子孫が下野国黒羽藩の藩主として明治まで存続する。
小峰(白河)義親──娘 ├──大関政増──大関高増──大関増親 大田原資清──┐ ┌大関晴増(義親養子) 土佐守 土佐守 大関宗増━┷━大関高増 ├大関清増 ├──┴大関資増 佐竹義舜─┬宇留野義元──娘 └佐竹義篤───佐竹義昭──佐竹義重
- ※宗増の養子となった高増と、政増の嗣子高増は同名。
- この大関氏は、那須神社を氏神として崇め、高増・清増の代をはじめとして代々藩主により庇護を受け、寝殿を修繕している。本刀「牛切丸」も大関氏に伝わった後に奉納されたものと思われる。
- 後に那須神社(栃木県大田原市)に奉納された。
- 鎌倉時代中期の備前国一文字派の作と推定され、県有形文化財に指定されている。
牛切丸(うしきりまる)
長船祐定作
- 「名将言行録」の著者岡谷繁実の先祖、岡谷三太夫信繁は慶安(1648年)ごろの人で、ある夜、侵入した盗賊を捕らえた。
- それに金品を与え正業に就くよう諭し放ったところ、それよりのち盗賊は改心し、精励して産をなすに至る。盗賊は謝礼として、かつて牛を試み「牛切丸」と名付けた業物を信繁に贈ったという。
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