片桐正宗
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片桐正宗(かたぎりまさむね)
短刀
銘 正宗
八寸(24.2cm)
- 詳註刀剣名物帳
浅野紀伊守は浅野弾正大弼長政の嫡子、幸長の事で初め左京大夫と云、のち紀伊守と稱す、この刀幸長の家臣の持ちたるものなる由、片桐一正は大阪の老臣東一正且元(また直盛とも云)子息雲州は一正の長子出雲守孝利である、この年父自殺の後家をつぎ寛永十五年三十八歳で病死、元禄ごろ家は断絶す、本多大隅守は佐渡守正信の四男忠純の事である。
由来
- 片桐且元所持にちなむ。
来歴
浅野家→家康
- 紀州藩主浅野長政の家臣所持。長政が召し上げ埋忠寿斎に金具を造らせ、家康に献上。
片桐且元
- 家康は大坂方の片桐且元に与えたという。※子の出雲守孝利とも
- 慶長13年(1608年)2月、且元から埋忠寿斎のもとに出されており押形が取られている。
本多忠純
- 且元は弟貞隆の娘を養女にして本多佐渡守正信の三男大隅守忠純に嫁入りさせており、そのときに婿引出として正宗を贈っている。
片桐且元は大坂の陣の直後の慶長20年(1615年)5月28日に死去。一説の自殺したともいう。
- 本多忠純は下野榎本藩2万8000石の大名であったが、養嗣子の政遂の死後嫡孫犬千代が3歳で継ぐが、寛永18年(1641年)に5歳で夭折したため、無嗣改易により御家断絶。
将軍家
- その後行方不明
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