源氏物語絵巻


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 源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)

源氏物語を題材にした絵巻物

Table of Contents

 概要

  • 源氏物語」は、中宮彰子に仕えた紫式部が西暦1000年ごろに著したもので、その物語を題材に絵巻物とする「源氏物語絵巻」はおよそ150年後の12世紀に誕生したとされる。

 「隆能源氏

  • 源氏物語の絵巻物は多数存在するが、中でも最も有名で国宝に指定されているのが俗に「隆能源氏(たかよしげんじ)」と呼ばれる作品である。「隆能源氏」とは、平安時代の宮廷画家藤原隆能の作と伝えられることから名付けられたものである。
    なお「隆能源氏」という呼び名は明治以降のものとされ、実際には藤原隆能を含む幾人かの絵師により製作されたものと見做されている。「隆能」とは、大和絵の土佐派二世・藤原隆能(春日隆能とも。正五位下・主殿頭、絵所預)のこと。
  • 現存するものはその一部で、名古屋の徳川美術館に三巻強と、東京世田谷区の五島美術館に一巻弱、それぞれ国宝指定を受けるものが保管展示されている。
    元は54帖あったとされ、そのうち現存するのは徳川美術館の15帖(場面)と、五島美術館の4帖(場面)のみとなっている。
  • このうち徳川美術館所蔵のものが通称「徳川家本」と呼ばれ、また五島美術館所蔵のものは「蜂須賀家本」と呼ばれる。
  1. 【徳川家本】国宝、尾張徳川家伝来、徳川美術館所蔵
  2. 【蜂須賀家本】国宝、蜂須賀家伝来、五島美術館所蔵
  • 「源氏物語絵巻」は、「伴大納言絵詞(出光美術館所蔵)」、「信貴山縁起絵巻(奈良・朝護孫子寺所蔵)」、「鳥獣人物戯画(東京国立博物館所蔵)」とともに、日本四大絵巻と称される。いずれも国宝指定。


 「徳川家本」

紙本著色源氏物語絵巻〈絵十五面/詞二十八面〉
国宝
公益財団法人徳川黎明会所蔵(徳川美術館保管)

  • 絵15面・詞28面(蓬生、関屋、絵合(詞のみ)、柏木、横笛、竹河、橋姫、早蕨、宿木、東屋の各帖)で構成されている。

 来歴

  • 元は10巻あったとされ、そのうち3巻を大坂夏の陣の際に戦利品として押収したものを家康が名古屋城に保管し、のち尾張徳川家に伝わったとされる。
    ただし伝来はよくわかっていないところが多く、一説には、幕末に鷹司家から尾張徳川家、蜂須賀家に子女が嫁いでいることから、その嫁入り本として絵巻が贈られたものとするものもある。いずれの説にしろ、史料に基づくものではなく確証のあるものではない。
  • 元は巻物であったが、保存上の理由から昭和7年(1932年)徳川義親が田中親美に依頼して絵巻を切断して台紙に貼り、桐箱製で43面の額装に改めている。
  • 昭和11年(1936年)6月、田中親美による模本完成の展覧会が開催されている。
  • 昭和27年(1952年)3月29日国宝指定。
  • 平成28年(2016年)~令和2年(2020年)にかけて、2期に分けて修復作業が行われ、再び15巻の巻子装に改装された。
  • 公益財団法人徳川黎明会が所有し、徳川美術館で保管・展示される。


 「蜂須賀家本」

紙本著色源氏物語絵巻〈絵四面/詞九面〉
国宝
東京急行電鉄株式会社所蔵(五島美術館保管)

  • 絵4面・詞9面(鈴虫、夕霧、御法の各帖)で構成されている。

 来歴

  • こちらは阿波蜂須賀家に伝来したもので「蜂須賀家本」と呼ばれる。
    蜂須賀家以前の伝来は不明。
  • 明治維新直後に同家が処分のために売ったものを蜷川式胤が七円で購入。
    なお蜂須賀家には「紫式部日記絵詞」も伝来した(いわゆる蜂須賀家本「紫式部日記絵巻」)が、こちらは手放さなかった。昭和6年(1931年)12月14日旧国宝指定。昭和55年(1980年)の「国宝重要文化財総合目録」では蜂須賀正子氏蔵(蜂須賀正韶氏旧蔵)。現在も個人蔵。
  • その後明治20年ごろに美術商の柏木貨一郎(探古)に四十円で売却された。
  • 柏木貨一郎の死後、明治33年(1900年)ごろに生前の約束に従い益田孝が入手する。
    柏木貨一郎は、美術商・数寄屋建築家。この頃政治家や財界人が好んで伝統的な数寄屋建築を構えており、その多くを柏木が手がけた。
     この益田への譲渡話は「益田孝」の項に詳しい。なお同時に「地獄草紙」、「猿面硯」なども柏木家から益田家に移っている。
  • 徳川家本と同時期に、「蜂須賀家本」を所有していた益田孝も絵巻を切断して台紙に貼り額装としている。
  • 国宝指定の打診があったが、益田孝はこれを拒絶している。益田孝は昭和13年(1938年)没。
  • 昭和27年(1952年)3月29日国宝指定。この時は次男の益田太郎(劇作家・音楽家の益田太郎冠者)の所持。

    去年、源氏物語を国宝に指定するについて、一応みたいから、現物を博物館に持参して欲しいとの通達を受けた。此の絵巻は保存上一紙ずつに切つて平たく伸ばし、各段毎に薄い桐箱に入れそれを更に大きな外箱に入れてある。従つて国鉄では社内持込制限を超えた大きさとなるので、小田原から自動車をやとつて東京往復をせねばならぬ。おまけに倉番は中風で寝て了い倉の出入れも出来ぬ。遂に其の儘にしておいたら現物を見ぬまゝ国宝に指定されて了つた。あの場合若し売却して了い家になかつたらどう言うことになつたろう。

    • この後、益田太郎氏は昭和28年(1953年)5月に没。
  • のち高梨仁三郎が購入。
    高梨仁三郎は、東京コカ・コーラボトリングの前身である東京飲料株式会社の創業者。東京コカ・コーラボトリングは日本コカ・コーラの関東地区でのボトラーであった企業。その後合併を繰り返し、現在はコカ・コーライーストジャパン(CCEJP)として関東・東海・南関東を対象地域とする日本最大のコカ・コーラボトラーとなっている。なお高梨家はキッコーマン(野田醸造、野田醤油)の創業家のひとつ。
  • 昭和34年(1959年)、美術館公開を決意していた五島慶太が3億円(当時)で購入する。
    五島慶太は一代で東急を築き上げた実業家。強引な事業拡大手法から「強盗慶太」の異名をとった。この高梨コレクションの譲渡についてもかなり強引だったようで、前年11月に中央食品相談役に就任した際に当時社長であった高梨氏と知り合いになっている。そして翌昭和33年(1958年)5月、高梨氏に収蔵品を少しだけ借用したいと申し出ると、コレクションの保管されていた三菱倉庫に東横百貨店の配送車を横付けにし、美術品のすべてを東急文庫に運び入れてしまう。6月にそれらを展覧して評価すると、7月7日に譲渡を要求するとともに8月12日に契約書を作成、その翌年4月19日に本契約を締結すると譲渡が決定している。同年6月には旧守谷コレクションの一部を購入し美術館開館の夢は目前に迫るが、8月14日、五島慶太没。五島慶太の夢であった五島美術館は翌昭和35年(1960年)4月18日に開館を迎えた。
  • 現在も東急(東京急行電鉄株式会社)が所有し、公益財団法人五島美術館で保管・展示される。五島美術館においては、「紫式部日記絵巻」(国宝)と並びコレクションの双璧となっている。
    「源氏物語絵巻」は、毎年ゴールデンウィークの頃に1週間程度の展示が行われる。

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