源氏物語系図
※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。
源氏物語系図(げんじものがたりけいず)
源氏物語系図とは、紫式部の「源氏物語」に登場する人物を、系図の形にして整理したものである。
「光源氏系図」、「源氏系図」とも。
Table of Contents |
|
概要
- 源氏物語には、500名あまりの人物が登場し、また人物の呼称が複雑なため系統だって読み解くためには何らかの形で登場人物を整理する必要があった。
登場人物の名前
作中の登場人物は、諱呼びを避ける風潮により、その人物の官職や、「一の宮」、「女二宮」、「女三宮」など当該部分だけでは一意に特定できない名称「仮名」で登場する人物が多い。頭中将、左大臣、右大臣、兵部卿宮などがそれである。これらはあくまで、物語の"その時点での現職の人物"を表すにすぎない。同時代の登場人物間ではもちろんそれだけで一意に特定できているが、全体を俯瞰する場合には特定が困難となってくる。
「頭中将」とは蔵人頭と近衛中将を兼任した者に対する通称に過ぎず、また「一の宮」とは天皇の長子のことをいう。今上天皇が退位して次代になれば、当然別の人物が一の宮になる。「女二宮」、「女三宮」なども同様で、それぞれ2番目の女宮、3番目の女宮を指す。
さらに同じ人物であっても、立場や官職が変わると呼び方が変化したり、場面によって異なる呼び方をされることもある。
物語の中で本名らしきものが記されるのは、主人公光源氏の家来である藤原惟光と源良清、匂宮の家来である時方など、身分の低いごく一部の人物に限られ、彼らもまた出世するに従い「中納言」や「近江守」などの役職名で呼ばれるようになる。
そもそも、主人公の光源氏自体、作中では諱(本名)は不明なままである。「御子」「若君」と呼ばれた人物がやがてその美貌と才能から「光る君(ひかるきみ)」とあだ名されるようになり、臣籍降下により源氏の姓を賜る(賜姓源氏)。その後出世にともなって中将(中将の君)、大将(大将の君)、大納言(源氏の大納言、源氏の大殿)、内大臣、太政大臣、さらには邸宅の名をとって六条の院(六条の大臣)などと呼ばれるようになる。
賜姓源氏とは、本来姓を持たない皇族が臣籍降下した際に臣下であることを示すために与えられる姓のひとつで、嵯峨天皇が自らの皇子3名に源氏を授けたことに始まる。賜姓源氏には、歴史上名高い武家源氏である清和源氏(源頼朝、源義経など)を含め、嵯峨源氏、村上源氏など二十一流があるとされる。最も家格が高いのが村上源氏であり、源氏一族の氏の長者である「源氏長者」は、嵯峨源氏が始めのころ出した後は村上源氏が長く出していた。これが清和源氏に取って代わるのは室町幕府の足利義満が最初である。
この姓のルールは続いており、現在も皇族には姓が存在しない。例えば秋篠宮妃である紀子様は旧名は川嶋紀子であったが、1990年(平成2年)に皇籍に入った時に皇族となられたために姓がなくなり(戸籍から消除され皇族譜に記載される)、正しくは文仁親王妃紀子となる。一般には「秋篠宮妃」「紀子さま」などと記載されている。逆に紀宮清子内親王であった清子さま(紀宮様)は、2005年(平成17年)に東京都職員の黒田慶樹氏と結婚された際に皇籍から離脱して戸籍を与えられ、黒田清子さんとなった。学校などでは姓がないと不便なため、便宜上称号(~宮)を名字のように扱い、例えば愛子内親王であれば、「敬宮(としのみや)」「愛子(あいこ)」さんと呼ばれる。
この姓のルールは続いており、現在も皇族には姓が存在しない。例えば秋篠宮妃である紀子様は旧名は川嶋紀子であったが、1990年(平成2年)に皇籍に入った時に皇族となられたために姓がなくなり(戸籍から消除され皇族譜に記載される)、正しくは文仁親王妃紀子となる。一般には「秋篠宮妃」「紀子さま」などと記載されている。逆に紀宮清子内親王であった清子さま(紀宮様)は、2005年(平成17年)に東京都職員の黒田慶樹氏と結婚された際に皇籍から離脱して戸籍を与えられ、黒田清子さんとなった。学校などでは姓がないと不便なため、便宜上称号(~宮)を名字のように扱い、例えば愛子内親王であれば、「敬宮(としのみや)」「愛子(あいこ)」さんと呼ばれる。
慣例名
- このため、主要な人物については慣例的な名前が割り振られ、ほぼ定着していくこととなった。例えば「空蝉」や「朧月夜」、「雲居の雁」などはその人物が詠んだ歌に由来する名称である。
- またこれとは逆に、「右大臣(みぎのおとど、朱雀帝の外祖父)」などのように官職名が固有名詞化し、他にも右大臣がいるにもかかわらず単に右大臣といえば特定の人物を指すようになった人物もいる。
系図の発生
- これら膨大で複雑な登場人物を系統立てて整理するために生まれたのが、「源氏物語系図」である。
- すでに鎌倉時代後期からの存在が確認されており、三条西実隆による源氏物語系図(実隆本)によって現在主流となる形式が確立した。この実隆本以前の源氏物語系図を「源氏物語古系図」と呼ぶ。
- さらに江戸時代には平田篤胤の弟子である北村久備が注釈本「すみれ草(源氏物語すみれ草、菫草)」を著し、これには冒頭の「系図略図」に加え、系図の著し方についてもさらに工夫を加えた。
兄弟姉妹の並べ方について、それまでの系図が例外はあるものの長幼に関係なく全ての男性を先に記述し、女性をその後にまとめて記述することが多かったのを改め、男女に関係なく年齢順に記述しているなど。
参考系図
【「源氏物語」世界の系図】
※あくまで「源氏物語」世界における主人公周辺の架空系図 先帝─┬─三条式部卿の宮─┬─大君〔髪黒の妻〕 │ └─紫の上〔源氏の妻〕 │ └─藤壺中宮〔桐壺院中宮、源氏と関係〕 ┃ ┃ ┃ ┌─桐壺院─┬─朱雀院〔母は弘徽殿女御〕─┬─今上─┬─東宮 │ │ │ ├─匂兵部卿の宮〔母は明石中宮〕 │ │ │ └─女二の宮〔薫の妻〕 │ │ ├─女二の宮(落葉の宮) │ │ │ 〔柏木の妻。後、夕霧の妻〕 │ │ └─女三の宮〔源氏の妻、柏木と関係〕 │ │ │ ├─光源氏〔母は桐壺更衣〕─┬─夕霧〔母は葵上〕─┬─東宮女御 │ │ 御子・若君 │ └─六の君〔匂宮の妻〕 │ │ 光る君 ├─薫〔実は柏木の子、母は女三の宮〕 │ │ (賜姓源氏) │ │ │ 中将の君、大将の君 └─明石中宮〔今上の中宮、母は明石の上〕 │ │ 源氏の大殿、六条の大臣 │ │ │ │ │ ├─蛍兵部卿の宮(帥の宮) │ │ │ │ │ ├─宇治八の宮─┬─大君 │ │ ├─中君〔匂宮の妻〕 │ │ └─浮船〔薫・匂宮と関係〕 │ └─冷泉院 │ │ ├─前東宮──秋好む中宮〔冷泉院中宮、母は六条御息所〕 │ ├─桃園式部卿の宮──朝顔の斎院 │ └─女三の宮(三条の大宮) ┃ ┃ 右大臣(太政大臣)─┬─弘徽殿女御 ┃ ├─(妹)六の君(朧月夜)〔源氏と関係。後、朱雀院の愛人〕 ┃ └─(姉)四の君 ┃ ┃ 左大臣─┬────────────中将(太政大臣)─┬─柏木 └─葵の上 ├─弘徽殿女御〔冷泉院女御〕 ├─雲井の雁〔夕霧の妻〕 ├─玉鬘〔髪黒の大将の妻、母は夕顔〕 └─近江の君
実隆本源氏物語系図
- 三条西実隆による源氏物語系図。
- 実隆以前の源氏物語系図は九条家本の流れを汲むもので、巣守三位など現存する源氏物語の中には現れない人物についての言及もしばしば見られるなど、当時の標準的な本文となりつつあった青表紙本による源氏物語とはしばしば整合性の取れないものであった。
- そのような中で三条西実隆によって整えられた「実隆本」は、それ以前の古系図とは形式と内容がいくつかの点で異なっていた。実隆本が成立して以後はわずかな例外を除いて実隆本の流れを汲むものが主流となっていった。
特徴
- 古系図と対比したときの実隆本系図の最大の特徴は人物の配置にあるとされる。
- 【古系図】:古系図ではある人物の子孫を並べるときにまず長子を記述し、その後に「父親→長子→長子の長子→長子の次子→次子→次子の長子→次子の次子」という順序で長子の子孫を全て記述してから上の世代に戻って次子を記述していた。
- 【実隆本】:これに対して実隆本はまず長子以下の子をすべて記述、その後「父親→長子→次子→長子の長子→長子の次子→次子の長子→次子の次子」といった順序で記述することで、親の世代、子の世代、孫の世代がそれぞれまとまって記述され「下の世代から上の世代に戻ることのない配置」を原則とする。
関連項目
Amazon Music Unlimited 30日間無料体験