毛利藤四郎


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 毛利藤四郎(もうりとうしろう)

短刀
銘 吉光
名物 毛利藤四郎
8寸8分5厘(刃長26.5cm)、内反り
東京国立博物館所蔵

  • 享保名物帳所載

    毛利藤四郎 在銘長八寸七分半 無代 松平大炊頭殿
    毛利輝元の所持表護摩箸裏樋并極有之

  • 名物帳の版によっては、毛利家重代とも書かれる。さらに長さが八寸六分、八寸三分、あるいは七寸四分半と書かれているものもある。
  • 平造り、真の棟、差表に護摩箸、裏に腰樋と添樋を掻き流す。鋩子は表小丸、裏尖りごころとなり掃きかけて返る。
  • 中心うぶ、栗尻。目釘孔2個。細鏨で吉光の二字銘。
  • 鎺は金無垢で「吉光うめたた寿斎」と在銘。

 由来

  • もとは毛利輝元の愛刀であったことからこの名で呼ばれる。

 来歴

 毛利家

  • 永禄6年(1563年)9月毛利隆元が頓死し、家督は11歳の輝元(元就孫)に移った。
  • 毛利元就は三男である小早川隆景に輝元の補佐をするよう命じ、毛利重代の吉光の短刀(当時は脇指と表記)を贈っている。これが毛利藤四郎かどうかは不明
    毛利家に関する吉光の短刀には「厚藤四郎」や「清水藤四郎」もあるが、「厚藤四郎」は文禄元年(1592年)に秀吉から毛利秀元が拝領し、のち寛文4年(1664年)に秀元孫の毛利綱元が将軍家綱へ献上している。「清水藤四郎」は文禄3年(1594年)に秀吉に献上。

 家康

  • 本刀「毛利藤四郎」は、毛利輝元から家康に献上される。

 池田家

  • その後関ヶ原の時に池田輝政(池田光政とも)が拝領。
    毛利輝元は寛永2年(1625年)没、池田輝政は慶長18年(1613年)没。池田光政は慶長14年(1609年)生まれ。
  • 元禄5年(1692年)6月10日、本阿弥光常が輝政曾孫の池田綱政邸でこれを拝見している。
  • 享保名物帳に記載される「松平大炊頭殿」とは、岡山藩3代藩主池田継政のこと。
              細川忠興──細川忠利【肥後熊本藩】
                      ├──細川光尚
                    ┌千代姫
              小笠原秀政 ├小笠原忠真【豊前小倉藩】
                 ├──┴万姫
         ┌松平信康──登久姫  ├──┬蜂須賀忠英【阿波徳島藩】
         │        蜂須賀至鎮 └三保姫
    徳川家康─┴──督姫            ├───池田光仲【因州鳥取藩】
             ├──┬─池田忠継━━池田忠雄   ├───┬池田綱清
             │  ├─池田忠雄         │   └池田仲澄──池田吉泰
             │  └─振姫     徳川頼宣─┬茶々姫
    池田恒興     │     │     【紀州家】└徳川光貞─┬綱教
      ├───┬─池田輝政  伊達忠宗              └徳川吉宗
     善応院  │  │
          │  ├────池田利隆──池田光政【備前岡山藩、池田宗家】
          │ 福正院    本多忠刻  ├──池田綱政──池田継政
          │          ├──勝姫         ├───池田宗政
          │    徳川秀忠─千姫      伊達吉村─心定院和子   ├───池田治政
          │                              │
          └─池田長吉──池田長幸           黒田継高──宝源院藤子
             【備中松山藩】
    
    

 明治天皇

  • 明治24年(1891年)11月16日、明治天皇が侯爵池田家に行幸された際に、侯爵池田章政より名物浮田志津」とともに献上された。

    十六日 公爵池田章政邸に行幸あらせらる、邸は府下大崎村在り、午前十時三十分御出門、十一時十五分同邸に著御あらせらる、(略)章政所蔵の短刀二口一を浮田志津、一を毛利吉光と稱す、・傅元信筆懸物ニ幅對を上る、

    明治14年(1881年)の献上ともいうが誤り。

 東博

  • 昭和22年(1947年)、宮内省より国立博物館(現東博)に移管。
  • 現在は東京国立博物館所蔵。

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