楯無
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楯無(たてなし)
小桜韋威鎧
号 楯無
兜、大袖付
由来
- もと「小桜葦威鎧」と呼ばれた鎧であるが、楯が不要なほど堅牢なものという意味から「楯無」と名づけられたという。
来歴
- 源為義から、甲斐源氏の祖・新羅三郎源義光に渡る。
- 義光は家督を継いだ三男義清に譲り渡したため、日章旗の御旗と共に代々武田家の家宝として伝わった。※長子義業が、加茂二郎源義綱の養子となったため。
平治の乱で源義朝が着用し、敗走の際に脱ぎ捨てられたが、回収され甲斐武田家に届けられたという。
- 天正10年、武田勝頼が織田軍に攻められ天目山山麓の田野に追い詰められた際に、跡継ぎである武田信勝が、まだ元服鎧着の式をあげていなかったため急遽陣中でこの鎧を着けて済ませたと言う。
エピソード
- 武田家においては、この楯無が、御旗とともに神格化され、出陣の際には「御旗楯無も御照覧あれ」と唱和する習いであったと言う。
- なお「御旗」とは、後冷泉天皇が源頼義に下賜された日章旗で、のち武田家の総領職が受け継いだもので、日本最古と伝える。
楯無鎧写
- 写しが現存し、鹿嶋神社所蔵(白河市歴史民俗資料館寄託)となっている。
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