桑山光包
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桑山光包(くわやまみつかね)
短刀
無銘
名物 桑山光包
個人蔵
- 中堂来光包作
- 享保名物帳所載
桑山光包 無銘八寸六分半 代金三百枚 松平加賀守殿
江州大津にあり桑山伊賀守殿、千五百貫にて求め、遺物として家光公へ上る、筋違橋御普請請利常卿へ被仰付出来の砌拝領なり
由来
- 桑山伊賀守元晴所持にちなむ。
来歴
桑山元晴
- 江州大津の住人が所持していたものを、桑山元晴が千五百貫で買い上げた。
桑山貞晴→将軍家
- 桑山元晴の子の桑山貞晴に伝わるが、寛永6年(1629年)9月に後嗣のないまま26歳でに死んだ際、弟の栄晴を末期養子として継がせようとしたが御所藩は廃藩、幕府領となった。
- しかし父元晴の功績に免じて、翌年6月に栄晴が名跡を相続することのみ認められ、旗本として存続が許される。その御礼として遺物の光包(桑山光包)大御所秀忠に、また将軍家光には守家を献上している。
このときはじて台徳院殿にまみえたてまつり、
直晴 が遺物中堂來の脇指を献じ、大猷院殿に盛家 の刀をたてまつる。時に十二歳
(寛政重脩諸家譜)
前田利常
- 浅草見附、筋違見附を築造した際に前田家が筋違見附門を担当し、寛永13年(1636年)3月、その時の恩賞として家光より利常が拝領したという。
- 万治3年(1660年)には金三百枚。
前田家代々
- その後加賀前田家に伝わる。
- 戦後同家を出る。
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