本阿弥光山
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本阿弥光山(ほんあみこうざん)
本阿弥分家、光山系初代
大学
親矩
生涯
- 光二系四代目本阿弥光甫の五男。
- 寛永11年(1634年)生まれ、正徳4年(1714年)9月18日没、81歳
- 通称、大学。諱は親矩。
分家
- 宗家光温の五男という名目にして分家させている。
光山─光貞─光顕─光蘇─光恕(長根)─光佐─長識─親善
- 加賀前田家お抱えとなり、加賀前田家から組外として百五十石をもらっていた。
- のち3代将軍家光に召しだされ、御用を務めた。
書物
- 「光山押形」(乾坤二巻)古刀2727本の押形が載っている押形本。
- 実は子の本阿弥光貞の著。
此写者恵照院忠庵数年丹誠ヲ以テ写置者也
本阿弥光山法橋
忠庵親信
重郎右衛門親清- 恵照院忠庵とは光山の子光貞の法名。重郎右衛門とは光貞の子の光顕のこと。
- この本の原本は明治まで光山の子孫である本阿弥長識の家に伝来した。長識の子、親善が借金を作り売り払ってしまい、それを松方正義の舎兄久保之昌が買い取っている。大正6年に中央刀剣会で出版したときに誤って「光山押形」と名付けてしまったためにそれが流布したという。
関連項目
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