朝熊山


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 朝熊山(あさまやま)

  • 伊勢朝熊山は、伊勢神宮の丑寅の方角にあたり、古くより信仰を集めた。
  • 山頂付近にある臨済宗南禅寺派の金剛證寺は、「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、伊勢・志摩最大の寺となった。
  • 関ヶ原の後に福原長堯が入った後自害、また松平忠輝(のち高山から諏訪)や秋田実季などがこの地に配流されるなど、江戸初期の流刑地として使われている。

 金剛證寺

  • 三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院。
  • 朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、「朝熊山」と呼ばれる場合がある。

 松平忠輝

  • 家康の六男ながら嫌われたという松平忠輝は、家康薨去後の元和2年(1616年)7月6日に兄秀忠から伊勢国朝熊に流罪とされ、金剛證寺に入っている。
  • のち元和4年(1618年)3月5日には飛騨国高山の金森重頼に、さらに寛永3年(1626年)4月24日には信濃国諏訪の諏訪頼水に預けられ、天和3年(1683年)7月3日に92歳で死去した。

 九鬼嘉隆

  • 関ヶ原の戦いから敗走したのちに答志島(現・鳥羽市)で自刃した九鬼嘉隆のゆかりの寺であり、嘉隆にまつわる所蔵品がいくつかある。九鬼嘉隆の肖像画(紙本著色九鬼嘉隆像)は重要文化財に指定されている。
  • 嘉隆の三男有慶は嘉隆の菩提を弔い金剛證寺に出家し、金剛證寺第12世となっている。
    九鬼嘉隆は一説に金剛證寺に葬られたとも言う。

 永松庵

  • 永松庵(現在は永松寺)は、朝熊山山麓(伊勢市朝熊町1212)にある。
  • 永松寺には、現在も福原長堯秋田実季の墓が残る。

 福原長堯

  • 西軍で大垣城を守った福原長堯は、のち開城してこの永松庵へと入る。水野、西尾らが家康に赦免を願い出たが叶わなかった。
  • 福原長堯は朝熊山山麓にある永松庵で切腹したという。

 秋田実季

  • さらに常陸宍戸藩の初代藩主となった秋田実季ものち幕府から忌み嫌われ、寛永7年(1630年)に突如伊勢朝熊への蟄居を命じられ永松庵に入っている。

 関連項目


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