暦
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暦(こよみ)
- 日本では、古来吉備真備が唐より導入した大衍暦に始まり、その後中世には宣明暦が800年以上用いられ、その後渋川春海の貞享暦に置き換わった。
- 当時使われていた宣明暦は、800年以上もの長きに亙って使われたため誤差が蓄積し、実際の天行よりも2日先行しており、さらに各地で独自に宣明暦に基づいた暦(民間暦)が発行され、それらの中には日付にずれが生じているものもあり、暦の全国統一をする必要も生じていた。幕府の命により完成したのが貞享暦であった。
大衍暦(だいえんれき)
- 日本では、吉備真備が天平7年(735年)に唐から持ち帰ったものがこの大衍暦で、当時の日本には暦学に通じた人材が不足していたため実際には天平宝字元年(757)11月の藤原仲麻呂政権下で実現される事になる。
- 天平宝字8年(764年)から貞観3年(861年)までの98年間用いられた。天安2年(858年)からの4年間は改暦の準備として五紀暦と併用されたが、貞観4年(862年)に宣明暦が導入された。
五紀暦(ごきれき)
- 中国・唐の天文学者・郭献之が編纂した太陰太陽暦による暦法
- 日本では、天応元年(781年)に一度は改暦が検討されたものの実施には至らなかったが、その後天安2年(858年)から貞観3年(861年)までの4年間、それまで使われていた大衍暦と併用された。
- 試用開始の翌年に渤海使が宣明暦を持ち帰ると、真野麻呂は宣明暦の採用を主張するようになった。貞観4年(863年)に真野麻呂の主導によって宣明暦が導入され、五紀暦が単独で用いられることはなかった。
宣明暦(せんみょうれき)
- 唐の徐昂が編纂したもので太陰太陽暦の暦法
- 正式には長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)と言う
- 日本においては、貞観4年1月1日(862年2月3日)に大衍暦・五紀暦から改暦され、その後中世を通じて貞享元年12月30日(1685年2月3日)まで、823年間継続して使用され、史上最も長く採用された暦となった。
- 貞享2年1月1日(1685年2月4日)、貞享暦に改暦される
貞享暦(じょうきょうれき)
- 江戸時代の渋川春海の手によって完成したもので、貞享元年10月29日(1684年12月5日)に採用が決定した。初の日本人によって編纂された和暦である。
- 貞享2年1月1日(1685年2月4日)に宣明暦から改暦され、宝暦4年12月30日(1755年2月10日)までの70年間使用された。宝暦5年1月1日(1755年2月11日)、宝暦暦に改暦される。
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