斎村貞宗
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斎村貞宗(さいむらさだむね)
小脇差
朱銘 貞宗 本阿(花押)
名物 斎村貞宗
1尺強(30.4cm)、反り1分7厘(0.5cm)
重要文化財
個人蔵(東京国立博物館保管)
- 平造り、真の棟。差表に三鈷柄の剣と梵字、裏に素剣と梵字。生ぶなかご
由来
- 赤松家の家臣、播州龍野城主であった斎村政秀(龍野赤松氏)の所持であったことから。
来歴
斎村家
- 播州龍野城主斎村政秀の所持。
- その子斎村政広は、関が原の戦いで初め西軍、のち東軍に寝返り、因州鳥取城攻めに参加。城下を焼き払ったことで家康から切腹を命じられる。貞宗は没収。
将軍家→尾張家
- 元和元年(1615年)11月、駿河御分物として尾張徳川家に分与された。
- 金七十五枚の折紙付き。拵えは目貫が金無垢の蜻蛉の図、鎺は二重で上下とも金無垢、鵐目(しとどめ)も金、小柄は赤胴で駒の図だったという。
尾張家→将軍家
- 寛永4年(1627年)5月、秀忠へ献上している。
五月三日
一、今日御脇指當麻、被進、御刀斎村貞宗、御指上之、
将軍家→藤堂家
- 大御所秀忠が寛永6年(1629年)3月17日に寛永寺参詣の帰途、藤堂高虎が建てた寒松院に立ち寄り、褒美としてこの貞宗を与えている。
- 翌年10月に高虎が病死すると、遺物として家光に献上。
浅野家
- 寛永12年(1635年)9月浅野安芸守光晟(安芸広島藩の第2代藩主)が前田光高の娘(家光養女)との婚礼のお礼に参上した時、将軍家光から婿引出として拝領し、以降同家に伝わる。
九月廿二日、松平安芸守光晟婚姻を謝して、備前正恒の太刀、時服二十、銀百枚献ず。御盃賜ひ、二字国俊の御刀、斎村貞宗の御脇差を引出ものしたまふ。加賀中納言利常卿、筑前守光高卿も拝謝し、浅野因幡守長治並利常卿光晟が家司等も拝謝し奉る。
斎村政秀
- 本姓赤松氏。龍野赤松氏。
- 赤松村秀が龍野に鶏籠山城を築き、以後政秀、広貞、広秀(斎村政広)と続いたが、天正5年(1577年)に豊臣秀吉によって開城し、秀吉はあらたに蜂須賀正勝を置いた。
- 斎村政広はのち但馬竹田城城主。名字「斎村」は、父の死後一時避難していた才村(または佐江村)に由来するという。
- ※斎村姓は父政秀の死後に名乗ったということになると、号の由来となった父政秀は赤松氏ということになる。
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