審神者


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 審神者(さにわ)

古代の神道の祭祀において、神託を受け神意を解釈して伝える者のこと
後には祭祀の際に琴を弾く者を指すようにもなった

 さにわ

  • 元は「清庭(さやにわ)」の意味で、神を祭り神託を受けるために忌み清めた庭(場所)のことを指したとする説が有力である。斎場、沙庭。
  • その後、神託を受ける者の名前へと変化した。
  • さにわびと。

 審神者

  • 「日本書紀」神功皇后9年3月に、皇后が自ら神主となり、武内宿禰(たけのうちのすくね)に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(いかつのおみ)を審神者としたと記されている。

    三月壬申朔、皇后選吉日、入齋宮、親爲神主。則命武內宿禰令撫琴、喚中臣烏賊津使主爲審神者。因以千繒高繒置琴頭尾、而請曰「先日教天皇者誰神也、願欲知其名。」逮于七日七夜、乃答曰「神風伊勢國之百傳度逢縣之拆鈴五十鈴宮所居神、名撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命焉。」亦問之「除是神復有神乎。」答曰「幡荻穗出吾也、於尾田吾田節之淡郡所居神之有也。」問「亦有耶。」答曰「於天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神有之也。」問「亦有耶。」答曰「有無之不知焉。」

    於是、審神者曰「今不答而更後有言乎。」則對曰「於日向國橘小門之水底所居而水葉稚之出居神、名表筒男・中筒男・底筒男神之有也。」問「亦有耶。」答曰「有無之不知焉。」遂不言且有神矣。時得神語、隨教而祭。然後、遣吉備臣祖鴨別、令擊熊襲國、未經浹辰而自服焉。且荷持田村荷持、此云能登利有羽白熊鷲者、其爲人强健、亦身有翼、能飛以高翔、是以、不從皇命。毎略盜人民。

  • 3月1日、神功皇后は吉日を選び斎宮に入り、自ら神主となられた。武内宿禰に琴をひかせ、中臣烏賊津使主(いかつのおみ)を呼び「審神者」とされた。
  • 過日、仲哀天皇に教えられた神を問うと、「伊勢の度会県の五十鈴宮にいます撞賢木(つきさかき)厳之御魂(いつのみたま)天疎向津媛命(あまさかるむかいつひめのみこと)(天照大神の別名)」であるという。さらに問うと、「尾田の吾田節(あかたふし)の淡郡にいる」という。さらに問うと「天事代虚事代(あめにことしろそらにことしろ)玉櫛籤入彦厳之事代神(たまくしいりひこいつのことしろのかみ)(事代主神)」であるという。さらに問うと、「日向国の橘の水底にいる。その名は表筒男(うわつつのお)中筒男(なかつつのお)底筒男(そこつつのお)である」と答えた。これらは住吉三神と呼ばれる。
  • そこで、それぞれの神を祀ったという。
  1. 伊勢国の度会県の五十鈴宮:天照大神
  2. 尾田の吾田節淡郡にいる神
  3. 事代主神
  4. 日向国の橘の水底:住吉三神(表筒男、中筒男、底筒男)

 経緯

  • これより前に、神功皇后の夫である仲哀天皇が熊襲討伐のために筑紫に赴いている。
  • そこで神功皇后に神がかりがあり、先に西海にある財の国(三韓)を征伐せよとのお告げがある(「香椎宮託宣」)が、仲哀天皇はこれを信じず神を非難する。神の怒りに触れた天皇は翌年2月に突然崩御する。
  • その後の話が上の「審神者」に神の名前を聞く場面である。
  • こうして神々を祀った神功皇后は、まず熊襲を攻め、その後いわゆる三韓征伐を行うことになる。
    ※ただし現在では仲哀天皇は実在が疑われており、さらに神功皇后についても実在説と非実在説が並存している。

 審神者神社(さにわじんじゃ)

  • 審神者神社という名の神社が存在する。
  • 祭神:中臣烏賊津使主
  • 住所:福岡県糟屋郡久山町山田660-1

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