多賀高忠


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 多賀高忠(たがたかただ)

室町後期の武将
室町幕府侍所所司代
新左衛門、豊後守
号 大源

  • 守護大名京極高数の次男に生まれ、多賀豊後守家当主となる
    【京極氏】
    佐々木道誉─┬秀綱
          └高秀─┬高詮─┬高光─┬持高
              │   │   └持清─┬勝秀─┬高清
              │   │       ├政光 └孫童子丸
              │   │       └政経
              │   │
              │   └高数─┬教久【京極加州家】
              │       └多賀高忠
              │
              │【尼子氏】
              ├高久─┬詮久【近江尼子氏】
              │   │
              │   │【出雲尼子氏】
              │   └持久─┬清定──経久
              │       └山中幸久【山中氏】
              └秀益【宍道氏】
    
    

 生涯

  • 父・京極高数は室町中期の守護大名。
    京極高光は応永20年(1413年)に死去し、子の京極持高が継いだが、持高に子がなくこの時に京極高数が家督をついだとする説がある。
  • 高忠は、近江甲良町下之郷を拠点とする多賀家(左衛門尉・豊後守)を継ぐ。
  • 生家である近江京極氏の重臣として働き、2度にわたって室町幕府京都侍所所司代を務め、名所司代として知られる。
  • 通称は新左衛門、あるいは官位である豊後守
  • 庖丁藤四郎」、「骨喰藤四郎」、「豊後藤四郎」にその名が残る。

 京極家臣

  • 主君京極持清は従兄(父高数の兄である京極高光の次男にあたる)でもあり、その片腕として活躍する。
  • 応仁の乱が勃発すると持清と共に1万の兵を率いて細川勝元ら東軍に属し、西軍の六角高頼らを圧倒して山城に如意岳城を築く。文明元年(1469年)には六角氏の本拠である観音寺城を一時制圧して8代将軍足利義政から直々に感状を授けられた。
  • 文明2年(1470年)に発生したお家騒動(京極騒乱)で京極氏と多賀氏は分裂、高忠に反感を抱いた出雲守家の多賀清直・宗直父子が西軍に寝返り、京極氏の弱体化を招いた。
  • 一時優勢を保つも、文明4年(1472年)に敗走、政経と共に越前へ逃れる。文明7年(1475年)には出雲の国人を擁して再起し、六角高頼らと戦って勝利を納めるが、西軍の土岐成頼と斎藤妙椿、斯波義廉が援軍に付いたことにより敗北。三沢氏ら有力国衆を戦死させて敗退した。
  • 応仁の乱終結後も本拠である近江犬上郡甲良荘下之郷には復帰できず、京都での隠棲生活を余儀なくされていた。
  • しかし文明17年4月15日(1485年5月28日)、室町幕府に召されて2度目の京都侍所所司代を任ぜられると、幕命を受けて山城国内の土一揆を鎮圧し京都市中の再建にも尽力する。翌年に世を去った。

 文芸

  • 高忠は武家故実に明るく小笠原持長に弓術を学び、、『高忠聞書』を著した。『高忠聞書』は弓術における研究資料、及び当時の故実を知る史料として現在まで重要な役割を果たしている。この他に和歌・連歌にも通じるなど、当時の知識人の1人であった。

 父祖

  • 京極氏は、宇多源氏佐々木氏支流

 父:京極高数

  • 初名は高員
  • 高数の父は京極高詮の次男で高光の弟
  • 加賀守、室町幕府侍所頭人兼山城守護、出雲・隠岐・飛騨守護。
  • 嘉吉元年(1441年)6月に赤松満祐が開いた酒宴に6代将軍足利義教、諸大名、公家らと共に招かれ、宴の最中に義教が赤松氏の家臣により暗殺される(嘉吉の乱)。管領である細川持之を始め多くの諸大名が逃げ出す中で、高数はその場に残って戦い、討たれている。
  • 京極氏宗家の家督は持高の弟である持清が継いだ。
  • 高数の長男は、足利義教から偏諱(「教」の字)の授与を受け、別家(=京極加州家)を起こす。
  • 次男は多賀高忠

 祖父

  • 京極高詮(高詮の祖父が佐々木道誉)

 子孫

 

  • 長男:高家-高房(京極政経・材宗父子に仕える)-貞隆(貞澄)-貞能=堀秀家(堀秀政弟、秀種)-
  • 次男:(片岡)次大夫宗春 ※「本阿弥系図」による

 

  • 本阿彌家では、高忠次男(片岡)次大夫宗春の次男が本阿弥家七代光心の婿養子となり光二を名乗ったとする。この光二の子が高名な本阿弥光悦である。

 骨皮道賢

  • 侍所所司代の多賀高忠に仕え、盗賊の追捕を行っていた。

 関連項目


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