売茶翁
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売茶翁(ばいさおう)
江戸時代中期の黄檗宗の僧
煎茶の中興の祖
法名月海
還俗して高遊外(こうゆうがい)と称す
- 「高遊外売茶翁」「まいさおう」
生涯
- 肥前蓮池の領主鍋島家に仕える御殿医であった父柴山杢之進と、母みやの三男として生まれる。幼名は菊泉、本名柴山元昭。
- 11歳で出家し肥前の龍津寺の化霖禅師について禅を学ぶ。13歳で師とともに宇治の黄檗山萬福寺を訪れ、師の師である独湛禅師から偈を与えられる。
- 57歳のときに師の化霖が遷化すると、突如龍津寺を法弟の大潮に任せて上洛する。
売茶
- 61歳で京都東山で売茶生活に入る。
- 享保20年(1735年)に鴨川のほとりに「
通仙亭 」という店を開き、その際に次のような文言を掲げ身分を問わず誰でも応対したという。茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、ただのみも勝手、ただよりはまけもうさず
- また場所にこだわらず自ら茶道具を担って明光風靡で清らかな水のある所で喫茶店のような簡素な席を設け、禅道と世俗の融解した話を客にしながら煎茶を出し、茶を喫しながら考え方の相違や人のあり方と世の中の心の汚さを卓越した問答でひとびとに供した。
一の籠に点茶の具を入れ、みづから負行て、山林の面白き所、水石の清き所にて茶を点じ、人にのませつつ、貴き賤きをわかたず、料のありなきを問ず、世の中の物語なんどのどやかにしければ、皆人翁になれむつびぬ
- 宝暦5年(1755年)、81歳になった売茶翁は売茶業を廃業し、愛用の茶道具も焼却してしまう。
- 87歳で蓮華王院(三十三間堂)の南にある幻々庵にて逝去。
評価
- 伊藤若冲と親交があり肖像画が残る。また後世多くの文人画家が肖像画を残した。
- それまで大名など高い身分の間でのみ広がっていた喫茶の習慣を、庶民にまで広めた人物とされる。
- 侘び茶の祖千利休が「茶聖」と称されるのに対し、売茶翁は煎茶の祖「茶神」と呼ばれる。
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