国家珍宝帳


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 国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)

5種類ある東大寺献物帳の一つで、正倉院宝物の起源となる最も古いもの。
紙本墨書
正倉院北倉 158

  • 白麻紙と称する上質紙十八張を張り付いだ、縦25.8cm横1474.0cmの長大な巻子である
  • 楷書体で記された墨書の上から、一辺8.7cmの天皇御璽が全面に三段ずつ押されている
  • 国家珍宝帳 - 正倉院

 概要

  • 天平勝宝八歳(756年)6月21日の聖武太上天皇の七七忌(なななのかき)(四十九日)法要の際、光明皇太后が太上天皇の冥福を祈り聖武天皇遺愛の品々650点余りを大仏に捧げた目録である。
  • 巻頭に、「太上天皇のおんために、国家の珍宝等を捨てて東大寺にいる願文、皇太后御製」と書かれているためにこの名で呼ばれている。
  • 巻頭と巻末には、聖武天皇を偲び亡き夫への思いをつづる光明皇太后の言葉が並ぶ。また目録の最後には「追感疇昔(疇昔(ちゅうせき)を追感し)、触目崩摧(目に触るれば崩摧(ほうさい)す)」と記している。これは皇太后が、太上天皇遺愛の品々を見ると、生前の天皇との様々な出来事が思い出され、心がくだかれる想いをしてしまうがために納めるのだということである。

 巻頭文

奉為 太上天皇捨国家珍宝等入東大寺願文
   皇太后御製
故に今、先帝陛下の奏為に国家の珍宝、種々の翫好及び御帯・牙笏・弓箭・刀剣、兼ねて書法・楽器等を捨てて東大寺に入れ、盧舎那仏及び諸仏菩薩、一切の賢聖を供養す。伏して願わくは、茲の妙福寺を持して仙儀を翼け奉り、永く法論を馭して、速やかに花蔵の宝刹に至り、恒に妙楽を受けて、終に舎那の法莚に遇い、普賢と将にして宣遊し、文殊と共にして展化し、仁、百億を霑おし、徳、三千を被わんことを。

 巻末文

右件。皆是。先帝翫弄之珍。内司供擬之物。追感疇昔。触目崩摧。謹以奉献盧舎那佛。伏願。用此善因。奉資冥助。早遊十聖。普済三途。然後鳴鑾花蔵之宮。住即涅槃之岸。
天平勝宝八歳六月廿一日
 
(読み下し:右の件り、皆是れ、先帝翫弄(がんろう)の珍にして、内司供擬の物なり。疇昔(ちゅうせき)を追感し、目に触るれば崩摧(ほうさい)す。謹みて以て盧舎那仏に献じ奉る。伏して願わくは、此の善因を用て冥助に資し奉り、早く十聖に遊び、普く三途を済り、然る後に(すず)を花蔵の宮に鳴らし、(さきばらい)を涅槃の岸に住めんことを。)

 最古の和紙

  • この国家珍宝帳は現存する最古の和紙の一つとされる。
    正倉院に残る大宝2年(702年)の美濃、筑前、豊前三国の戸籍簿が最古とされる。
  • 紙の製法は、推古天皇18年(610年)に高句麗の僧曇徴(どんちょう)がもたらしたとされる。
  • その後日本国内で(こうぞ)、みつまた、雁皮(がんぴ)の靭皮を材料に黄蜀葵(とろろあおい)などから得られる粘液を添加する製法が工夫されたことにより、「(なが)()き」と呼ばれる日本独特の製紙方法が生み出され「和紙」へと進化した。

 関連項目


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