固山宗次(刀工)
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固山宗次(こやまむねつぐ)
生涯
- 享和3年(1803年)陸奥白河において固山宗平の三男として生まれる。
- 兄は固山宗平、固山宗俊。
- 通称宗兵衛。
- 加藤綱英の門下で刀鍛冶を学ぶ。同門に長運斎綱俊がいる。
- 陸奥白河藩主であった久松松平家のお抱え刀工となり、松平定信に仕える。
- 文政6年(1823年)の松平家の伊勢桑名転封に伴い、文政12年(1829年)頃に桑名に移る。
- 天保のはじめに江戸に出ており、腕を認められ一時期尾張藩工になる。
- この江戸四谷にいたころに向かいに「四谷正宗」こと源清麿が越してきて技を競ったという。
先に四谷に住んでいた固山宗次に挨拶がなかったため、源清麿に対して果たし状を送ったという。また飲み比べ合戦を行ったともいう。
- のち桑名藩に復帰。
- 弘化2年(1845年)ごろ「備前介」受領。
- 明治3年没。
- 山田浅右衛門や伊賀兎毛、山田五三郎など御様御用役とも交流があった。このため名人の試し銘の残る作が多い。
著名作
- 刀
- 銘「副山田浅右衛門吉昌之好 固山宗兵衛宗次作之 天保七丙申年十一月十八日 於牢屋屋鋪太々両軍土壇払 後藤五三郎利重(花押)」
- 刀
- 銘「固山宗兵衛宗次作之/天保十四年五月日」
- 小竜景光写し
- 弘化4年作、文久2年作の2本
- 刀
- 銘「固山宗次」三重県指定文化財
- 刀
- 銘「天保八年十一月日 応武田常貞需固山宗次作之」
- 刀
- 銘「固山備前宗次 稲妻雷五郎作之/嘉永三年月日」宗次と第7代横綱稲妻雷五郎の合作刀。雷五郎は優勝相当成績10回、雷電と比較されるほどの強豪力士だったという。天保10年に引退し、雲州相撲の頭取を務めた。嘉永3年はその引退後十数年が経過している。明治後、旅行中に金に困った雷五郎がこの刀を酒代に残していったという。
- 大笹穂槍
- 銘「世伝蜻蛉切効正真作/形摸而固山備前介藤原宗次鋳之」 蜻蛉切写し。東京国立博物館所蔵
系譜
二代目宗次
- 初代息子の宗一郎。
- 見竜子宗次。
義次
- 初代の次男。
泰龍斎宗寛
- 初代の弟子
- 白河の生まれ。
- 奉竜斎と号す
- 嘉永元年~明治三年ごろまで。
一関士宗明
- 久保田宗明。
- 陸奥一関藩大小姓組の藩士で、藩命を受け宗次に入門する。安政3年に免許を授けられ宗明と名乗る。一関藩に戻り、藩工として多数の刀を作った。
- 刀
- 銘「一関士宗明 元治元年八月吉日/振此利刀鏖敵者誰多巻觀民」※「この利刀を振い敵を鏖(皆殺し)するは誰あろう多巻觀民」と読む。多巻觀民は一関藩士。
- 刀
- 銘「一関士宗明 応山田勝矩需」
関連項目
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