吠丸


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 吠丸(ほえまる)

  • 源義朝が後白河法皇に献上したもの。
  • 「吼丸」
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 平家都落ちと発見

  • 寿永2年(1183年)平家が都落ちする際に平重盛(小松殿)の三男左近衛権中将清経が法王御所の法住寺殿から本刀と鵜丸を奪って逃げた。

    是平氏黨類壽永二年城外之刻。淸經朝臣自法住寺殿取御釼二腰。〔吠丸。鵜丸〕其随一也云々。

    平清経は横笛の名手として知られた。のち壇ノ浦で入水自殺したとも、豊後で斬死したともいう。享年21。


  • 吠丸はその後行方がわからなかったが、文治元年(1185年)10月に大江公朝が見つけ出し法王に献上している。

文治元年十月大十九日戊辰
法王御護御釼去年紛失。去比江判官公朝求得之令献上之。風聞之間。今日二品以御書被感仰公朝云々。是以左典厩太刀所被奉献也。号吠丸。蒔鳩塢云々。先考御重寳再備朝家御護之条。依爲御眉目。今及此儀云々。

  • 左典厩(源義朝)が献上し後白河法皇の守刀とされていた「吠丸」がなくなっていたが江判官公朝(大江公朝)が見つけ出し献上した。

文治元年十月大廿日己巳
於鎭西尋取仙洞重宝御劔鵜丸。今度進上訖。是平氏黨類壽永二年城外之刻。淸經朝臣自法住寺殿取御釼二腰。〔吠丸。鵜丸〕其随一也云々。

  • 源範頼が九州遠征より戻り、彼の地で見つけ出してきた「鵜丸」を献上したが、それは平氏が都落ちの際に吠丸とともに平清経(小松内大臣平重盛の三男)が法住寺殿(院御所)から奪い取っていったものであったという。

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