吉田兼光


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 吉田兼光(よしだかねみつ)

短刀
銘 備州長船兼光 延文二年十二月日
吉田兼光
刃長九寸六分

  • 享保名物帳所載

    吉田兼光 長九寸六分 代金千五百貫 松平右衛門督殿
    表釼裏護摩箸、輝元卿三州吉田在城の時より御所持宮内殿へ傳ふ延宝五年極め

  • 差表に剣、裏に護摩橋。

 由来

  • 毛利輝元が安芸吉田城に在城の際に所持したことにちなむ。
    • 名物帳の「三州(三河)」は誤りとされる。

 来歴

  • 毛利輝元より、池田忠雄(宮内殿)に贈る。
    • 池田忠雄は、池田輝政の次男(五男)池田忠継の弟、忠雄の嫡男光仲の時に因幡国鳥取藩に転封となり、幕末まで続いた。
    • 名物帳の「右衛門督殿」は池田忠継のこと。母が徳川家康の次女督姫で、鳥取藩池田家宗家初代。忠継は若死にしたために弟の忠雄が継いだ。
      池田輝政が天正18年(1590年)から慶長5年(1600年)まで三河吉田城主であり、名物帳では、この頃に入手したためとする。
  • 延宝5年(1677年)4月、忠雄の子、光仲が本阿弥に鑑定に出しており、千五百貫または金七十五枚の折紙が付いた。
  • その後、因州鳥取藩池田家に伝わる。

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