卍信国


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卍信国(まんじのぶくに)  


銘 信国
金象嵌 源家康
刃長一尺三寸八分五厘
法隆寺所蔵

  • 鎬の上に樋。表の樋は中央部で切れ、そこに卍を彫る。
  • 銘は「信国」二字銘、剣の表に「卍」、なかご裏に「源家康」と金象嵌が入る。目釘孔1個。
  • 鞘、および剣袋が附く。鞘にも「源家康」とあり、鞘・袋ともに三つ葉葵紋が入る。

来歴  

  • 慶長19年(1614年)大坂冬の陣の際、10月11日に駿府を出立した家康は、11月15日には京都二条城を出、木津に到着するがそのまま南下し、奈良奉行中坊秀政の屋敷に入っている。翌16日に大和漢國神社(かんごうじんじゃ)に茶糸威胴丸具足を納め、戦勝祈願をする。

茶糸威胴丸具足は徳川家に仕えた大和の甲冑師、岩井与左衛門の作とされる。現在奈良国立博物館寄託。

  • さらに法隆寺に参拝し、この剣を奉納するとともに法隆寺子院の阿弥陀院(実相院の西にあった子院)に宿泊したあと、大坂に向かい茶臼山陣城へ入っている。

    十一月十一日、将軍家二条御着、御対面
    十五日、御進発、木津着御之処、俄奈良江渡御、将軍家牧方御着
    十六日、法隆寺阿弥陀院御止宿
    十七日、住吉御宿陣
    十八日、出御茶臼山

  • ただし冬の陣では大坂城を攻略することかなわず、逆に真田幸村の構築した真田丸前田利常軍の一部が翻弄されている。
  • 年末には和議の交渉がまとまり家康は京都を経由して駿府に戻る。しかし間もない翌年4月再度大坂攻めの軍勢を起こしている。これが大坂夏の陣である。
  • 信国の剣は現存し、法隆寺所蔵(奈良国立博物館寄託)

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