北野茄子


※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。

 北野茄子(きたのなす)

唐物茶入
大名物 唐物茄子茶入 北野茄子
野村美術館所蔵

Table of Contents

 由来

  • 不明。
  • ただし天文19年(1550年)に松本宗不が所持していた時点ですでにこの名がある。

    天文十九年五月廿六日松本宗不持ち来候
      北野なすび
    (津田宗及茶湯日記)

 来歴

  • 来歴概略
    松本宗不─吉水四郎─豊臣秀吉─油屋常言─妙国寺─西宗真─┐
                                │
    ┌───────────────────────────┘
    │
    └奥平藤左衛門─松平定直─柳営御物─野村徳七

 松本宗不

  • 元は松本宗不の所持。

    天文十九年五月廿六日松本宗不持ち来候
      北野なすび
    (津田宗及茶湯日記)

 吉水四郎

  • のち九州の吉水四郎に伝わる。

    北野茄子 西国に有之分 吉水四郎(天正名物記)

    北野茄子 西国 吉水四郎(東山御物内別帳)

 秀吉

  • その後、秀吉の所持となる。

 油屋~妙国寺

  • 油屋常言が「油屋肩衝」を献上すると、代わりにこの「北野茄子」と三百貫を拝領する。

    北野茄子 油屋常言より秀吉へ油屋肩衝上る代りに、鳥目三百貫北野茄子たまはる、松平隠岐守にあり。
    (古名物記)

    油屋肩衝」は、利休の弟子である油屋常佐が所有したもの。

  • 油屋常言の子は、堺妙国寺の開山日珖上人(開基は三好実休)で、北野茄子は妙国寺に伝わった。

 西宗真

  • 寛永元年(1624年)8月妙国寺5世日現上人が銀四十五貫四百目で堺の商人西宗真へと売却する。
    日現上人、字は惠俊、龍雲院。妙国寺2世日統上人の甥。寛永10年(1633年)4月4日遷化。

    西宗真はもと肥前大村藩士で、商人となる。ルソン島を拠点として貿易を行う。キリスト教徒で西ルイス(類子)とも。のち家康に謁見を許され、朱印状を受け朱印船貿易を行う。元な3年ごろに堺に移り、のち日蓮宗に転じて名を西宗真と改めた。正保3年(1646年)没。

    西宗眞通稱九郞兵衞、父を宗源(初代九郞兵衞天正十四年八月二十二日歿)母を妙信(元和五年二月十三日歿す)といひ(四家系圖)基督教徒名をるゐす(類子)といふ。

    寛永元年八月五日 妙国寺 日現(花押)
    西 宗眞老
     被買得候北野茄子茶入之事
    右代銀四拾五貫四百目也
    則銀子相濟候也、御茶入慥に請取申候所明白也、爲後日如件
     寛永元年拾月十八日    (宗眞花押)
     妙国寺様
    (妙国寺文書)

 奥平藤左衛門

  • 西宗真の子孫の九郎兵衛は、延宝7年(1679年)にこれを伊予松山藩士奥平藤左衛門に金一千百両で譲渡する。

    北野茄子添掛物
     一札
    一私代々所持仕候北野茄子之茶入、貴様御所望ニ付今度進上候、此茶入昔より名物之北野茄子に疑無御座候、若相違之儀御座候者、何時成共御返可被成候、茶入ヲ請取有之代金千百兩返濟可仕候
    (略)
    延寶七己未六月廿三日
             堺 西九郎兵衛(印)  
               (花押)
             鰯屋道甫代      
               同九郎二郎(花押)
    奥平藤左衛門殿

 久松松平家松平定直

  • 奥平藤左衛門はこれを久松松平家、松平定直に献上。
    松平定直は伊予松山藩4代藩主。従四位下、隠岐守、侍従。正室は佐倉藩主・稲葉正往の娘。

 将軍家

  • 享保5年(1720年)、松平定直の子松平定英は父の遺物として襲封の際に献上する。
    松平定英は松平定直の三男。長兄定仲、次兄鍋之助が早世したため享保3年(1718年)に嫡子となる。享保5年(1720年)父定直の死に従い伊予松山藩5代藩主となった。

    松平定英 享保五年十二月十一日遺領を継ぐ、二十八日隠岐守に改む、此日父(久松家第五代隠岐守定直)遺物備前守家の刀、北野茄子の茶入を献ず
    (寛政重修諸家譜)

    北野茄子 享保五年十二月十八日、松平隠岐守遺物
    (上御道具)

  • 以後徳川将軍家所蔵。

 2代目野村徳七

  • のち2代目野村徳七(号 得庵)が購入し、現在は野村美術館所蔵

AmazonPrime Video30日間無料トライアル